白梅の乙女たち in 松山公園
太平洋戦争での戦禍によって、松山公園の敷地内にあった「沖縄県立第二高等女学校」は1944年10月10日に校舎が全焼しました。
民家などで分散授業が行われましたが、戦争はさらに激しくなり、学校としての機能は成り立たず、戦後も復興されることなく自然廃校となりました。
写真の像は「白梅の乙女たち」の像。
創立80年の節目に、元職員、同窓生、家族の協力を経て、母校が存在した証の像が建てられました。
太平洋戦争での戦禍によって、松山公園の敷地内にあった「沖縄県立第二高等女学校」は1944年10月10日に校舎が全焼しました。
民家などで分散授業が行われましたが、戦争はさらに激しくなり、学校としての機能は成り立たず、戦後も復興されることなく自然廃校となりました。
写真の像は「白梅の乙女たち」の像。
創立80年の節目に、元職員、同窓生、家族の協力を経て、母校が存在した証の像が建てられました。
沖縄の方言で「カー」とは井戸のこと。
近くにユウナの木があったことから、「ユウナの井戸」という意味でつけられたようです。
昔の貴重な水資源で、多くの人が飲み水に利用したそうです。
1933年に、当時念願だった水道が敷かれ、以降使われなくなりましたが、その後も水への感謝として拝まれているそうです。
那覇市松山公園内にある顕彰碑は、沖縄発祥の空手を広めた二人の功績を讃えて建てられました。
東恩納寛量は「那覇手」の祖といわれ、明治期を代表する空手家(当時は唐手と書く)です。
「那覇手」とは空手道の三大系統の一つで、「首里手」「泊手」と並びます。
剛柔流の開祖である宮城長順の師で、顕彰碑には並んで名前が刻銘されています。
顕彰碑には、全日本空手道剛柔流会藩士深利勝之会長はじめ20数名の幹部会員の名前が奉納記帳されています。
沖縄県の中心部、那覇市久茂地から数百メートル離れた場所に「松山公園」があります。
都会の中の、かなり広めの敷地には、芝生、遊具、テニスコートなどがあり、地元民の憩いの場になっているようです。
数台停められる駐車場もあります。(9時~22時)
観光スポットというほど知られているわけではありませんが、大きなガジュマルを筆頭に木々が溢れる公園です。
松山公園の地図はこちら。
「この家は、宜野座村の惣慶集落に大正の初期頃に建築された民家を移築したものです。
当時の屋号は「前門(メージョー)」と呼ばれておりました。」
民家の前の看板に解説された看板があります。
沖縄には昔ながらの古民家が各地にあり、その中には移築されたものも多いです。
大家(うふやー)の他には「琉球村」や「おきなわワールド」などにも古民家が移築されています。
沖縄そば屋さん「大家(うふやー)」の敷地内にある「ハイサイ」と書かれた看板を持ったシーサー。
植木によって少し隠れていますが、味があります。
シーサーは、魔除けの意味を込めて玄関先や屋根の上などに置かれていることが多いです。
この「ハイサイシーサー」も、入口付近にありました。
沖縄そば屋で有名な「大家(うふやー)」の敷地内に「仲間家」はあります。
案内看板による説明は次の通り。
「この家は、宜野座村の惣慶集落に大正5年頃に建築された民家を移築したものです。
当時の屋号は「中原グヮー(ナカバルグヮー)」と呼ばれておりました。
「ナカバルグヮー」とは本家が「ナカバル」、「グヮー」が子供の意味です。」
他の民家と同じく、昔ながらの瓦屋根です。
名護市にある沖縄そば屋さん「大家(うふやー)」の敷地内にある「真謝(まじゃ)家」。
この家は、大宜味村の上原集落に大正十年頃に建築された民家を移築したものだそうです。
民家の案内看板によると、当時の屋号は「上前」(ウエヌマーランガー)。
「ウエヌ」とは、高台を意味しており、「マーラン」とは、「やんばる船」のこと。
「ガー」とは川を意味しております。
昔やんばる船(マーラン)が川(ガー)に水を汲みにきたその高台(ウエヌ)に家があったことから、そう呼ばれていたそうです。
この看板は英語でも表記されています。
その敷地内にある「新城家(あらぐすくけ)」。
民家の前にある看板を紹介します。
「この家は、国頭村の謝敷部落に昭和8年に建築された民家を移築したものです。
当時の屋号は「カーヌメーヤー」と呼ばれておりました。「カーヌメーヤー」とは「川の前の家」という意味で、新城家が川の前にあった為このような屋号でよばれておりました。
建築に使われた木材は、部落内の謝敷山から採れた樫の木が使われています。」
昔ながらの琉球民家のたたずまいは、明治時代に建築された「安里家」「新城家」「沢岻家」を復元したものだそうです。
「大家(うふやー)」とは、その中心にある「安里家」の屋号のこと。
同じ性の多い沖縄では昔から、屋号で呼ばれる事が多く、「うふやー」という屋号は、本家のような意味を持つ屋号と考えられています。
営業時間はお昼の11時からですが、観光客だけでなく沖縄県民にも人気で、いつ行ってもすぐに案内されるわけではありません。
散策もできますし、古民家を改装した待ち場所も提供されているので、のんびりした気持ちになれます。