ijinuderaatewohiki白銀堂の境内内に、この石碑がありました。

「意地ぬ出じらぁ、手引き 手ぬ出じらぁ、意地引け。」 と彫られています。

「短気をおこしたら、手を出さないようにし、手 が出ようとしたら、心をしずめよ」と戒めているそうです。

以下は、古くから伝わる白銀堂での民話です。

昔々、糸満村に働き者の漁師が遭難して船と漁具を失い困り果てていたところ、見かねた薩摩の武士がお金を貸したました。

しかし不漁が続いて約束の期限に借金を返す事ができない漁師が命乞いをしたときに言ったことわざで、武士は刀を収め、薩摩の家に帰ったところ自分の妻が見知らぬ男と寝ていました。

男は怒り、刀を振り上げましたが、漁師の言葉を思い出しました。

よくよく見れば妻の母が、女だけの家は不安なので男の格好をしていたとのことで、武士は妻と妻の母を殺さずに済んだのです。

白銀堂の地図はこちら。

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白銀堂

9月 13, 2016

hakugindo糸満市は昔から海人の街として知られ、航海の安全と豊漁を祈願する、糸満の氏神様が「白銀堂」という拝所に設けられています。

境内には隆起サンゴの巨石があり、住宅地とは思えないほど独特の雰囲気です。

あまり大きくない白銀堂ですが、旧正月には参拝客でにぎわったり、糸満ハーレーで優勝したチームが参拝したり、地元人にとって欠かせない場所です。

ちなみに「シロガネの御イベ」と呼ばれる自然の鍾乳石が、航海の安全と豊漁を司る神様として祀られています。

白銀堂の地図はこちら。

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santelinmo-kaisyuhi糸満市にある、山巓毛(さんてぃんもー)公園。

高台の住宅地にあります。

頂上には、戦前からの遺構として御大典記念山巓毛改修碑、国旗掲揚台及び防空監視哨跡が残っています。

大典記念山巓毛改修碑は、昭和天皇の即位を記念して昭和7年に白銀神社改築期成会によって山巓毛が整備されたされた時の記念碑だそうです。

しかし昭和20年の米軍が上陸すると、攻撃目標になるとして日本軍によって倒されました。

写真で見てもわかるように、台座の右横に倒れた石碑が置かれています。

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santelinmo--boukuukansisyo糸満市の山巓毛(さんてぃんもー)公園。

標高25mと高台になっていて、見晴らしもいいこの場所は、かつて敵機を発見するための「防空監視哨」が置かれていました。

レーダーが発達していなかった戦時中、敵機来襲を目で見て捕らえる重要な役割を担っていたのが「防空監視哨」で、沖縄県内の11か所に設置されました。

現在はその跡とみられる八角形の基礎部分が残されています。

拝所となっているそうです。

by | Categories: 沖縄の歴史・文化 | 防空監視哨跡 in 山巓毛公園 はコメントを受け付けていません。

santelinmo-koen-tenbodai糸満ロータリーのすぐ近くにある山巓毛。

隣接して、公園が併設されています。

アスレチック遊具と滑り台があります。

展望台からは、糸満漁港や町並みを一望できます。

夜景スポットしても知られていますが、糸満ハーレーの最初のレースが、ここでの旗振りの合図でスタートすることで有名です。

駐車場が公園のすぐそばに10数台分ありますので、車で来た方にも安心です。

山巓毛公園の地図はこちら。

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sanntelinnmo-「山巓毛(さんてぃんもー)」は標高約25メートルの石灰岩丘陵です。

昔の沖縄は、14世紀頃には三山時代となり、北部の北山、中部の中山、南部の南山に分かれていました。

1429年、南山の最後の王・他魯毎(たるみい)が、中山王・尚巴志(しょうはし)の攻撃を受け、妻子ともに自害した場所です。

沖縄戦当時は敵機を発見するための「防空監視哨」が置かれたり、国旗掲揚台があったり、戦跡としても名が知られている場所です。

現在では、糸満ハーレー(海神祭)のときに、この場所でスタートをつげる合図の旗が振り降ろされます。

山巓毛の地図はこちら。

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nahakuru-zuta-minaru「那覇クルーズターミナル」は、2014年4月1日に那覇市若狭にてオープンしました。

沖縄県を訪れる外国人観光客に向け、円滑な入出国手続きを実施し、沖縄の海の玄関口となっています。

施設内には、税関のほか動植物検疫、出入国審査ブースなどが設けられています。

受付で名前と電話番号などを記入すると、見学も可能だそうです。

迫力あるクルーズ船が来航している際には行ってみてはいかがでしょうか。

外国船の場合は一般の人立ち入り禁止の場合があります。

那覇クルーズターミナルの地図はこちら。

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ma-tyu-yamaato松山公園内にあるマーチューヤマアト(松尾山跡)。

琉球王国時代、松尾山は久米村の所有地でした。

1899年の土地整理事業で県の所有地となった後から、尋常小学校、病院、裁判所などが配置されていきました。

1944年の沖縄戦で松尾山やそこにある施設は一部焼失し、1977年の公園整備事業にて、現在の松山公園・福州園が整備されました。

石碑は、現在芝生の広場となった場所の端っこにあります。

マーチューヤマアトの地図はこちら。

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matuyamajinjosyogakkoato松山公園内には、様々な石碑がありますが、これもそのうちの一つ。

「松山尋常小学校・国民学校」がありました。

松山尋常小学校は1902年に開校、その後国民学校として名前を変更します。

終戦後、1951年(昭和26)には小学校・病院跡地に那覇商業高等学校が開校しました。(写真の石碑の後ろは那覇商業高等学校の校舎です)

松山尋常小学校・国民学校跡の地図はこちら。

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kumemurahassyonoti松山公園内に、「久米村発祥の地」という石碑があります。

はるか昔、中国の福建から沖縄に移住してきた人々がいました。移住者たちは、「久米三十六姓」と呼ばれています。

当時の琉球において、先端文明をもった移住者である「久米三十六姓」の政治的・経済的な地位は極めて高く、その末裔は今もなお、沖縄で大きな影響力を持っています。

彼らの住む「久米村」は当初城壁で覆われ、対外貿易の拠点・要塞となり、1609年に薩摩藩が琉球に侵攻した際には強く抵抗したそうです。

琉球政府の高官を務めた「久米三十六姓」の子孫は数多く、鄭迥氏や蔡温氏はいずれも、三司官にまで出世しました。那覇市牧志には今でも、「蔡温橋」という名前の橋が残っています。

久米村発祥の地の地図はこちら。

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