嘉数高台公園~入り口~
宜野湾市嘉数にある「嘉数高台公園」。
沖縄戦時の激戦地と知られていて、公園内には「トーチカ」や「京都の塔」「青丘之塔」などの慰霊の塔があります。
遊具や芝生の広場があり、休日には地元の家族連れやお年寄りがゲートボールを楽しむ姿を見られます。
遠足などにも利用されるようです。
次回紹介しますが、展望台からは「普天間基地」を望むことができ、よく政府関係者などが視察にやってきますが、ここから行われます。
駐車場は18台。
宜野湾市嘉数にある「嘉数高台公園」。
沖縄戦時の激戦地と知られていて、公園内には「トーチカ」や「京都の塔」「青丘之塔」などの慰霊の塔があります。
遊具や芝生の広場があり、休日には地元の家族連れやお年寄りがゲートボールを楽しむ姿を見られます。
遠足などにも利用されるようです。
次回紹介しますが、展望台からは「普天間基地」を望むことができ、よく政府関係者などが視察にやってきますが、ここから行われます。
駐車場は18台。
豊見城市にある瀬長島は空港に近く、離発着する飛行機を間近で見ることができます。
実際に、飛行機を見ようと多くの人がその目的で集まるスポットです。
写真の飛行機は、すぐ隣にある那覇空港に着陸するためにタイヤが出ているのが確認できます。
道の、ホントにスレスレのところを飛んでいるので、大きなエンジン音と共に迫力があります。
真下から写真を撮る観光客もいました。
夜になると、滑走路のいろいろな色の光がキレイで、昼間とはまた違った迫力が楽しめます。
飛行機ファンならずとも、一度行って体感してほしい場所です。
瀬長島の近くにある「しおさい公園」。
場所は豊見城市の与根。「豊見城カントリー倶楽部」の裏側に位置します。
瀬長島と同じく空港の近くなので、離発着する飛行機を真上に眺めることができます。
写真は入り口付近。奥のほうに遊具もありますが、「広い芝生の公園」といった感じで、犬を自由に遊ばせたり、簡単なサッカーゲームなども出来そうなところです。
時々ビーチパーティーをしている人たちや、ウォーキングに精を出している人もいて、それぞれが思いのままに過ごしていました。
近くの住宅地から見える「沖縄セルラースタジアム那覇」です。
外野に天然芝が敷設されているのが見えます。
6月末に35年ぶりのプロ野球交流試合が行われる予定ですが、これに先立って4月17日と18日に巨人(ファーム)vs阪神(ファーム)の試合を予定しています。
18日の試合は、沖縄では初めてのプロ野球ナイター。
沖縄にはたくさんの12球団中9球団がキャンプをしていますが、この「沖縄セルラースタジアム那覇」も、2011年以降の巨人の第二キャンプ地として使用されることになりました。
那覇市の奥武山公園内にあった旧・奥武山球場は、「沖縄セルラースタジアム那覇」と新しく名前が変わりました。
命名権は「沖縄セルラー」が年間1200万円で取得し、隣接する屋内運動場は「沖縄セルラーパーク那覇」。
4月3日、落成式が行われました。
同球場は両翼100m、中堅122m。収容人数は内野スタンド固定席1万5000、外野スタンド1万5000人。本格的なナイター設備などを備えています。
6月末には、県内では35年ぶりのプロ野球公式戦が行われる他、8月には沖縄美(ちゅ)ら島沖縄総体などで使用される予定があります。
「コバノナンヨウスギ」は、ナンヨウスギ科の常緑の針葉高木です。
幹はまっすぐに立ち、枝を水平に分岐して、均整のとれた円錐形の木です。
パッと見て、クリスマスツリーのようにも見えます。別名は「パインツリー」だそうです。
「コバノナンヨウスギ」という名前は和名。「ノーフォークマツ」とも呼ばれます。
写真で見てわかるように、とても高い木なのが特徴。成長がとても早く、あっという間にアパートの2階、3階部分までに達します。
台風には強いようです。先日、奥武山公園内で強風のため折れた「コバノナンヨウスギ」は、幹の中が腐っていたことから折れたとされています。
民間の家よりも街路樹、公園などで見かけることができます。
浦添市のパイプラインを北向けに行くと、左手のアパートらしきビルにおおきな字で書かれた「高江洲そば」の看板を見つけました。
場所がわかりにくいかもしれませんが、伊祖公民館の隣にあります。外観はレトロ。
民家を改造してつくられた店内は昔ながらの落ち着き感があります。
スープは濃いめ。麺にも味が染み込んでいるような美味しさでした。
「ゆし豆腐そば」といえば「高江洲そば」と言われるほど有名なおそば屋さんだそうです。
店内にはビーチバレーの浅尾選手などの有名人のサインもたくさん飾られていました。
朝10時からの営業で、定休日は日曜。
第82回選抜高校野球は、沖縄県代表の興南高校が見事に初優勝しました。
春夏通じて初めて決勝に進んだ興南。延長12回、10-5で日大三(東京)を下しました。
この日は沖縄県全体が朝から応援ムードで、家電量販店のテレビの前では人だかりができたそうです。
興南は5-5で迎えた延長十二回、1死から出塁すると、相手のエラーをきっかけに5点を奪い、勝負を決めました。
沖縄県勢の優勝は、2008年の沖縄尚学以来、2年ぶり3度目。4日夜の凱旋では那覇空港に1500人が集まりました。
写真は琉球新報。
「エイサー」とは、沖縄のお盆などで踊られる伝統芸能です。
大太鼓、パーランクー、締め太鼓、手踊り、旗頭などで構成されたエイサーの青年団体は、沖縄の各地域・各自治体に根付いています。
エイサーは沖縄の人にとって、欠かせない伝統芸能で、エイサーまつりも毎年催されています。
そのエイサーを踊るときの格好をして、お店の前に立っているシーサーがいました。
持っているのは一応、大太鼓の形をしていますが、シーサー自体が大きくて太鼓が小さめになっています。
最近は独特のアイディア溢れるシーサーが多いです。
沖縄の歴史・文化をモチーフとしたシーサーもたくさん見かけるようになってきました。
太平洋戦争後、沖縄はアメリカの統治下におかれ、日本本土との行き来もパスポートが必要でした。
通過単位も「円」ではなく「ドル」。
1972(昭和47)年5月15日、戦後27年間に及んだアメリカの統治が終わり、沖縄が日本に復帰することになりました。
パスポートも不要でドルから円の生活に変わりました。それまでの交換レートは1ドル=360円。
復帰時には変動相場制への移行で1ドル=305円。
日本政府の補償などもありましたが、沖縄全体が受けた損失は大きいものでした。
今のおじぃ、おばぁからはドル生活の話を聞くこともできるでしょう。