今日はウークイです。
沖縄の旧盆の最後の日。毎年旧暦の7月13日から15日までを旧盆とし、今日ウークイの最終日には重箱に詰めたお供え物を供えます。
夜遅く、集まった親戚一同がウチカビを焼き、重箱に詰めたお供え物、果物などと共に玄関先で線香を焚いて
「また来年」とお見送り。
写真の重箱は7品ですが、地域や家庭によって品数は違います。奇数であればいいようです。
こんにゃく、魚の天ぷら、お肉、かまぼこ、昆布、揚げ豆腐、ごぼうなど。
下段はお餅。これは12個か15個となっているようです。
旧盆真っ只中の沖縄。
旧暦の7月13日から15日、この3日間の間に、ご先祖様があの世から遊びに(?)帰ってくると言われ、昨日ウンケー(お迎え)をして、今日はナカビ(中日)に当たります。そして明日はウークイ(お送り)。
最終日のウークイには、夜、親戚一同が宴会をした後、ご先祖様があの世でお金に困らないように「ウチカビ」を燃やして線香に火をつけてお見送りします。
「ウチカビ」とは「打ち紙」と書き、あの世のお金のこと。方言で「アンジカビ」「ンチャビ」とも呼ばれるようです。
黄土色の紙の全面に銭の型が打ちうけられています。その数は一枚に10行×10列=100個。
ウチカビを焼いた後、お供え料理を少し銀紙に包み、玄関先で線香を焚いて、「また来年」とお送りするのです。
「かきのはなひーじゃー」と読みます。写真は垣花樋川へ続く坂道から見えた海。
樋川は子供たちが水遊びをしている左側から流れています。
垣花樋川は、南城市玉城字垣花にあり、環境省選定の名水100選の1つ。男(イキガ)川、女(イナグ)川の他に
馬浴(ウマアミシー)川があります。
車を降りて石畳の坂道を降りると、写真のような風景に出会えます。
かつては村の人々がここで水浴びをし、洗濯や野菜洗いをし、水を汲んで坂道を行き来していたようです。
ご覧の通り眺めがとてもきれいで、流れてくる水もきれいで冷たいので、休みの日には地元の人たちの憩いの場となっています。
南城市にはもう1つ、仲村渠樋川も有名です。
垣花樋川の地図はこちら。
今回は美ら海水族館のメインである、「黒潮の海」。
ジンベイザメを育成している世界最大級のアクリルガラスは人間と比べて見てもわかるように、とても大きなものです。人間が小さく見えます。
その中で泳いでいるジンベイザメ3匹もとても大きく、10~12mあるそうです。模様が夏着の甚平に似ていることからジンベエと名付けられたとされています。
沖縄名はミズサバ。大きな体をしている割にはおとなしい性格で、ダイバーが近づいても逃げようとしませんが、エサを食べる時には立ち泳ぎをしながら豪快に食べる様は有名です。
写真では確認することができませんが、この水槽にはエイやサメ、アジなどの仲間が数種類いて、中でもエイ類の最大種といわれるマンタ(オニイトマキエイ)が水族館のキャラクターにもなっています。
今日、6月23日は慰霊の日。1945年6月23日に沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなんで、琉球政府及び沖縄県が定めた記念日です。沖縄では学校が休みとなります。
糸満市摩文仁の平和祈念公園で、「沖縄全戦没者追悼式」にて参列者5760人が正午の時報に合わせて黙とう、仲井真知事が平和宣言を行いました。
福田首相、岸田文雄沖縄担当相ら招待者も参列し、追悼の言葉、平和への願いを述べました。
太平洋戦争で、唯一地上戦が行われた沖縄では、20万人もの犠牲者が出たといいます。そのうち9万人以上が一般市民や子供だといわれ、その悲惨さは今も体験者や本などから後世に伝えられています。
現在は、2004年に沖国大に墜落したヘリの問題や教科書検定問題、米軍による事件など、戦争が終わった今も尚、「後遺症」が残っているといえるでしょう。
(写真参考;琉球新報)
とあるホテルのロビーに、お土産屋さんの前に置いてありました。
子供から大人まで、気軽に楽しめるものですが、ここに置いてあったのはもちろん沖縄バージョン。
紅型模様の着物を着ている人形が看板娘?
沖縄バージョンのガチャガチャは、写真では見づらいかもしれませんが、キジムナー、シーサーがこれまた色々な色・ポーズでシリーズ化されていました。
エイサーをしているシーサー、キジムナーベイビーなど種類も様々です。
1回100円~200円で、地域によって値段は変わるようです。
友達や家族と色違いのシーサーやキジムナーを持っていても面白いかもしれません。
観光地に近いコンビニでも、たまにガチャガチャを見かけます。
コンビにではポーク缶だったり、ゴーヤーだったり、エイサーグッズなどのピンバッヂが主流のようです。
本島南部の那覇市小禄~豊見城市の街路に、ホウオウボクが花を咲かせていました。
漢字で書くと「鳳凰木」。ジャケツイバラ科の落葉高木です。
原産はマダガスカル島で、主に熱帯地方で街路樹として植えられており、日本では沖縄でよく見かけることができますが、九州や小笠原諸島でも見かけるようです。
木の高さは10m~15m。シダのような葉をもっていて、初夏から秋に
かけて朱色の花を咲かせます。
ホウオウボクの果実(莢)は剣状になり、枝から長く垂れ下がります。
一言で言うと「巨大な“さやいんげん”」の果実は、長さ50~60センチほどになり、枝にたくさんぶらさがって
いて、その姿は少し不気味な感じがします。
実は、夜になると葉を閉じて眠るようなので、日夜を問わずホウオウボクを観察してみるのもいいかもしれません。
沖縄の特産品パイナップル。主に本島中北部や八重山方面で栽培されていますが「赤土の酸性土壌でなければ生育できない」「水はけの良い所でなければ育たない」などの条件があります。
他にも、年平均気温摂氏20度以上で、年降水量1300mm内外の熱帯の平地から海抜800mくらいまで、など。
作付け後、1~2年で収穫でき、一株のパイナップルから一度に1個の実がとれますが、次第に甘味が落ちてくるため、4~5年で新しい株に植え替えられるそうです。
原産地はブラジル、パラナ川とパラグアイ川の流域地方であり、日本には1830年東京の小笠原諸島・父島に初めて植えられましたが、1845年にオランダ船が長崎へもたらした記録もあるようです。
現在の主産地はもちろん沖縄。2002年時点で、約1万トン生産。
しかし最近では、栽培面積が減少してきているようです。
ちなみにパイナップルの花の花言葉は「完全無欠」。
沖縄本島南部に位置する南城市玉城に、仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー)はあります。
透水性の高い琉球石灰岩の台地からは湧水が出る泉が多くあり、その湧水を引いて水を貯える施設を樋川(ひーじゃー)といいます。仲村渠は地名。
沖縄で仲村渠樋川といえば「垣花樋川(かきのはなひーじゃー)」と並んで有名です。
昔の人の水浴びや飲料水、洗濯用の水など生活用水として利用されていましたが、現在は畑用の水として利用されています。
木製の共同用水施設から、大正時代に琉球石灰岩へと造り替えられ、平成7年6月27日に国の重要文化財として指定されました。
最近は水量が少ない時もあり、栓をして流れを調整している事もあるようです。
樋川まで続く石畳とがじゅまるの木々が、昔ながらの情景をより一層かもし出しています。
仲村渠樋川の地図はこちら。
沖縄ではどこでも見かけることのできる赤瓦屋根。
私達地元人は生まれた時から身近にあり、それが当たり前になっていますが、本土では主に黒色系の瓦が利用されているので、観光客など初めて見る人は印象に残るそうです。
ですが、沖縄の赤瓦も、実は18世紀以降のものがほとんどで、それより前は灰色系の瓦が主流だったそうです。
赤色系の瓦と、灰色系の瓦は、焼成方法に違いがあり、後々、コストも灰色瓦より抑えられ、なおかつ工程が簡単な赤瓦が増えてきたとのこと。
今ではコンクリート住宅が増え、赤瓦の家も減ってきていますが、やはり沖縄のイメージのひとつ。写真のような休憩所や公園のトイレ、バス停など公共の場所に利用されています。
減ってきたとはいえ、もちろん今でも住宅屋根やマンションの出入り門、居酒屋の屋根などにも多く使われています。
最近では「赤瓦コースター」というのも出てきています。赤瓦の吸収率をうまく活かした、コースターです。
割れた時に願いが叶うという「赤瓦ストラップ」というのもあります。