平和祈念公園内の、平和祈念資料館の外に、米軍のキャタピラや旧日本軍の魚雷が展示されています。
戦争時に使用されたもので、宜野湾市にて発見されたそうです。
沖縄不発弾等対策協議会が、2007年度の1年間だけで781件、およそ25トンの不発弾が処理されたと発表しました。
今もなお約2300トンが地中に埋まっていると推測され、国や県、各市町村が不発弾処理の負担を強いられている状況です。
最近では、南風原町で児童が不発弾と知らず校内に持ち込んだことや、糸満市で水道工事中に接触爆発した事件などが取り上げられました。
沖縄といえばキレイな海と青い空を思い浮かべる人は多いですが、戦争時の爪跡が今でも多く残っていることも事実なのです。
米軍のキャタピラ(平和祈念公園)の地図はこちら。
摩文仁(まぶに)は糸満市にある地域名で、1946年の合併までは摩文仁村として存在していました。
沖縄戦の末期、日本陸軍第32軍の司令部が最後に置かれた場所でもあります。
沖縄戦では、摩文仁が最後の激戦地となったことは有名で、村民だけでも犠牲者数は約1200人近くと村人口の約半数にもなったそうです。
そのため村独自では復興が難しく、合併に至ったということです。
写真は平和祈念公園から見える岸壁です。沖縄戦で追い詰められた住民たちは、米軍に捕まるよりは崖から飛び降りることを選択することもあったようです。
摩文仁の崖の地図はこちら。
沖縄本島南部の糸満市摩文仁(まぶに)に、平和祈念公園があります。
世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などでなくなられたすべての人々の氏名を刻んだ祈念碑「平和の礎」を、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して建設、1995年6月23日の慰霊の日に除幕式が行われました。
沖縄県内のみならず、毎年多くの修学旅行生たち、観光客が平和学習の一環として訪れます。
「戦没者の追悼と平和祈念」「戦争体験の教訓の継承」「安らぎと学びの場」の3つが平和の礎の基本理念となっています。
平和の礎に刻印されている名前は、2006年の時点で24万人を超えていますが、今もまだ追加刻銘を受け付けており、その数は増え続けているようです。
平和の礎(平和祈念公園)の地図はこちら。
ひめゆりの塔は、沖縄県本島糸満市にあります。
沖縄戦時中、沖縄陸軍病院第三外科壕であった跡に立つ慰霊碑です。
沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員で構成されたひめゆり学徒隊は、南風原にある沖縄陸軍病院に看護要員として従軍していました。
その後の激しい戦闘で解散となりましたが、すでに周辺はアメリカの支配下にあり、脱出したわずかな人数を除いてほとんどが壕の中で過ごしたようです。
しかし更なる攻撃を受け、100名近くいた生徒、職員の生き残りはわずか5名。戦後、遺骨が集められて慰霊碑が建てられました。
写真の手前の穴は、壕の跡と思われます。それを過ぎると奥にはひめゆり平和祈念資料館があり、生存者の手記や従軍の様子などが展示されています。
ひめゆりの塔の地図はこちら。
「ひめゆりの塔」の近くのお土産屋さんに、こんなものを見つけました。
人間と同じくらいの背丈のキューピーが、パイナップル(左側)とゴーヤー(右側)の着ぐるみ姿。
パイナップルはちょっと分かりづらいです。
アイスクリーム屋さんのオブジェだと思われますが、道を歩いていたら突然現れた、この着ぐるみキューピーに驚きます。
ちなみに、「ゴーヤー」は独特の苦味がありますが、沖縄では郷土料理のゴーヤーチャンプルーにも使われていて、うちなーんちゅにとってとても身近な野菜です。
「パイナップル」も沖縄で栽培しているフルーツの一つで、「パイナップルパーク」というテーマパークもあるほど親しまれています。
2000年の沖縄サミットを記念して作られた二千円札。
表面には沖縄県那覇市にある首里城内の守礼門、裏面には源氏物語の作者、紫式部が描かれています。
これは他の通貨に比べて以下の注目点があります。
・戦後初の「1」と「5」以外の単位
・表面のデザインが、人物でないこと(国会議事堂以来)
・最新の偽造防止技術が多数採用されていること
銀行やコンビニなどのATMで対応が進まないことにより、巷では二千円札は浸透していないようです。
守礼門に馴染みのある沖縄県では他の都道府県より流通量は高めですが、現在は生産はされていません。
もしニ千円札を手に取ることがあれば、今となっては貴重な体験なのかもしれません。
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勝ちゃん |
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沖縄県内では、この時期各地でサトウキビの収穫が盛んになってきて、サトウキビ畑では農家の人たちが一生懸命作業をしているのを見かけることができます。
収穫の際は、まず葉を切り落とし、その後、茎を地上近くで切り、倒れた茎を束にして工場へ運び出します。(写真参考)ほとんど人の手で行われますが、最近は小型の機械を使う農家もあるようです。
そして工場では汁を搾り取りますが、残った搾りカスは捨てずに、製造原料になったり工業利用されているようです。
サトウキビは、日照量が多く、豊富な水源が必要であるため、海外ではブラジル、インド、日本国内では沖縄や奄美諸島を中心に栽培されています。
沖縄の方言では「ウージ」と呼ばれ、砂糖の原料の他にウージ染め、飲料などにも利用されます。
平成15年の8月、沖縄都市モノレール開通と同時に、北明治橋も開通しました。
壷川駅と直接連結はしていませんが、駅に向かう人たちにとっては便利な橋です。
長さ128m、幅12.4m。車は通ることができません。
奥武山公園とつながっており、公園のベンチから時折、モノレールが駅に出入りする光景が見られます。
シンプルかつ、ほのぼのとした風情のある橋です。
北明治橋の地図はこちら。
※地図上では橋はありませんが、奥武山公園と壷川駅を繋ぐところにあります。
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勝ちゃん |
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那覇市泊にある、泊漁港内に那覇漁連はあります。
獲れたての魚介類が、船から降ろされたばかりの状態で卸されていきます。
車から降りるとすでに周りは魚の匂いが充満。市場、という感じです。
隣に設けられている、卸し店が並ぶ『泊いゆまち』と連携して、新鮮な魚介類を提供しています。
南国ならではのカラフルな魚や、子供の大きさくらいの魚、タコなどが店頭に並び、時間が合えばさばいている所も見られるかもしれません。
魚を取り扱う飲食店のみならず、一般の人も買い物できます。
駐車場も広く、すぐ近くには泊大橋も見え、ぐるっと一周見て回るだけでも楽しいです。
那覇漁連卸し市場の地図はこちら。
今日は那覇市の奥武山公園内にある県立武道館で、「1000人書き初め席書大会」が催されました。
今回で第12回を迎え、さらに県立武道館が出来る8年前から続いているイベントです。なので総合で20回という記念すべきイベントでもありました。
内閣総理大臣賞をはじめ、各々の特別賞、優秀賞を狙うべく朝早くから大勢の子供たちが集まりました。
オープニングセレモニーでは、書家の茅原南龍氏が縦440cm、横320cmの特大紙に「春」という文字を書く「大揮毫」を披露。
下は4歳、上は85歳、そして佐賀県から参加しに来たという子、老若男女合わせて1008人が新年への思いを新たに、真剣な眼差しで筆を走らせました。