本土と比べて、沖縄には自動販売機が数多くあります。それは本土に比べて一人当たりの数が10倍以上の数だとか。
昔から沖縄は個人商店が多く、わざわざ遠くまで出かけなくても近所で買い物を済ますことができました。
これがひとつの要因ですが、もちろん暑い気候ということもあり、飲料がよく売れます。
そして沖縄の人口。全国に比べて若年層が多く、それに比例して内容量の多いもの、つまり350ミリリットルよりもロング缶の方がニーズ性があるのです。
ペットボトルよりもロング缶が売れている訳には、「買ったその場で飲む」から。
持ち歩くことは少なく、渇きをいやすためにすぐに飲む人が多いのだそうです。
もちろん持ち歩く人もいますが、あくまで沖縄はそういう傾向にある、ということです。
ちなみに沖縄の自販機で売っている飲料は110円です。15年ほど前は100円で買うことができました。
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沖縄地方はここ2日間、11月下旬並みの寒さでした。
そんな中、9月から徐々に咲き始める「トックリキワタ」の花。
濃いピンク色の花が、この秋1番の寒さを迎えた沖縄を色づかせます。
浦添の国道330号線などで車を走らせていると、トックリキワタの並木が目に入ってきます。
花が咲いているのはまだまだ数えるほどですが、これから12月にかけて満開の時期を迎えるようです。
トックリキワタが沖縄に入ってきたのは1963年。琉球政府の派遣医師として赴任先のボリビアから帰国した当間恵三氏によって種が持ち込まれたのが初めて。
それから1987年の「花の国際交流事業」にて、ブラジル、ボリビア、アルゼンチン、ペルーの県人会から寄贈されて広まったようです。
残波岬公園内に、巨大シーサーがビーチ方面を向いて堂々と存在を示しています。
このシーサーは「残波大獅子」といって、沖縄で最大のシーサー。およそ7~8mだそうです。
昭和60年に製作されましたが、劣化などにより修復されている模様。
この「残波大獅子」は、他のシーサーのように「守り神」として作られたわけではないそうです。
かつて中国と交易で栄えた読谷村。その国交を後世に伝えるために製作されました。
ビーチ方面の先には中国大陸。その方向を向いているのです。
大獅子のそばにある石碑には、「夢を語れ!ロマンを抱け!人々のしあわせ 平和のために」と刻まれています。
残波大獅子の地図はこちら。
残波岬の遊歩道の途中、ある人物の像がありました。
これは、読谷村出身の泰期(たいき)という人物で、商売の神様といわれていた人だそうです。
泰期は14世紀後半、沖縄が琉球王朝時代の頃、中山王の命を受けて初の進貢使として中国に渡り、大交易時代の幕をあけた人物。
「読谷村の商工業の発展と地域活性の起爆剤」として、また、読谷村商工会35周年、村制100周年を記念して2008年11月に、この像を完成させました。
2009年6月には、第1回泰期まつりを開催。残波岬灯台が無料開放されました。
ちなみに泰期像は約180cmで中国福建省の方向を指さしています。
泰期の像の地図はこちら。
「残波岬」は、沖縄本島中部に位置する読谷村にあり、東シナ海に面した岬です。
高さ30mの断崖が約2km続いていて、1945年4月1日、本格的な沖縄地上戦が始まったといわれる米軍上陸のスタート地点という歴史を持っています。
灯台の高さは30.61m。光の到達距離は18.0海里(約33km)だそうです。
2001年8月、地元の要望で一般公開。大人200円で上まで登ることができ、景観を楽しめるようになりました。
この日はあいにく曇りでしたが、晴れた日は紺碧の海の向こうに慶良間諸島が眺望できます。ダイビング、磯釣りのスポットとしても有名です。
周辺にはアダンやクサベトラの群落など亜熱帯沖縄を代表する海岸植物があり、散歩道も整備されているので、ちょっとした散歩も良いかもしれません。
残波岬の地図はこちら。
「石敢當」は、シーサーと並んで沖縄の魔よけの一つです。
魔物(マジムン)は直線に進むといわれ、それを防ぐため、沖縄はほとんどの曲がり角又は突き当たりに置いています。
「石巌當」や「石巖當」などとそれぞれ漢字が微妙に違いますが、嘉手納ロータリーにあるものは「石敢當」でした。
この場所は整備されてきれいになっていますが、昔から交通事故の絶えないロータリーだったようです。
それが理由かどうかはわかりませんが、この「石敢當」は人の身長以上の大きさ。
おそらく沖縄で一番大きな「石敢當」と思われます。
お土産用に可愛く小さく作られた置物も最近見かけるようになりました。
毎年、沖縄では旧盆に合わせて帰省する人で賑わったり、スーパーでは旧盆セールが始まったりします。
今年の旧盆は9月1日~3日となっていて、9月にずれ込むことは珍しいです。
明日に控えてスーパーではお中元をはじめ、線香、ウチカビ、仏壇のお供え物などが店頭に並んでいます。
ご先祖様とのつながりを大事に考えている沖縄では、旧盆は盛大的な行事。
この期間はスーパーや市場では買い物客でごったがえします。親戚まわりのため、渋滞も多いようです。
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2009年7月22日、日本の陸地では約46年ぶりとなる皆既日食が観察されました。
皆既日食とは、太陽が月に隠れてしまう現象です。
太陽が部分的に隠される「部分日食」ならば国内でも2~3年に1度の割合で頻繁に見られますが、皆既日食となると数十年に1度しか起こらず、大変珍しい現象のようです。
この感動の瞬間を一目見ようと、沖縄本島では多くの人が日食グラスを片手に北部地域に集まりました。
沖縄地方では94%の部分日食でしたが、屋久島や奄美大島の一部の島で、皆既日食が見られたようです。
日食中の気温が、那覇で1.5度低くなるなど、肌で感じることができた人も多かったのではないでしょうか。
写真は琉球新報提供のダイヤモンドリング。
「喜屋武埼(きゃんざき)灯台」は、元々、現在の位置より東に120mほど離れた位置にあったそうです。
大戦の後にアメリカが建てた「荒埼灯台」というものです。
しかし近海を航行する船舶から、光が弱くて見えないという苦情が相次ぎ、昭和47年6月に海上保安庁が現在の位置に建て直し、さらに昭和60年に改築したそうです。
高さ約15m。光が届く距離は約34km。
現在も、海上保安庁が管理し、航行の安全を守っています。
ちなみに私たちは普段、この一帯を「喜屋武岬」と呼んでいますが、灯台の名前が「喜屋武埼灯台」ということを知っている人は少ないようです。
灯台(喜屋武埼)の地図はこちら。
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沖縄県本島南部、糸満市に喜屋武(きゃん)岬があります。
沖縄本島最南の灯台で、東シナ海に面しています。
写真の右に写っているのが「平和の塔」ですが、ここになぜ、「平和の塔」があるのかというと・・・。
激戦となった沖縄の地上戦、住民たちは鉄砲の弾から逃れるために南へ、南へと追い込まれていきました。
最後には断崖絶壁の海しかなく、住民たちは次々と海へ身を投じたそうです。
その数はなんと1万人という多くの人々。
悲しい歴史を繰り返さないこと、御霊をなぐさめることとして昭和27年、「平和の塔」が建てられました。
実はこの「平和の塔」、昔は青くなかったようです。
なぜ青色になったのかは分かりませんが、元はコンクリート地の塔だったようです。
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