「南風原文化センター」は南風原町「黄金森公園」内にあります。
南風原町や沖縄に関する歴史資料や沖縄戦に関する展示、そして移民やむかしの暮らし等の展示を行っています。
常設展示のほか企画展や講演会、音楽会、交流会なども行っています。
図書室では南風原や沖縄に関する、歴史文献資料等をそろえ、映写室では南風原や沖縄の戦争・平和・暮らし・歴史などに関するフィルム、VTRなどがみることができます。
開館時間は午前9時~午後6時まで。
毎週水曜日は休館日となっています。
入館料は一般300円、中高生200円、小学生150円。
南風原文化センターの地図はこちら。
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南風原町の「黄金森公園」内に「南風原陸軍病院壕」と「悲風の丘」の石碑があります。
ここは戦時中、南風原陸軍病院があった場所ですが、空襲によって施設が損壊してしまいました。
米軍の上陸を前に、病院は黄金森一帯に掘られていた30余りの壕(通称、南風原陸軍病院壕)へと移動。
さらに軍司令部が南部に撤退した頃に、病院も南部へ移動します。
そこで重症患者などに自決の強要がされたと言われています。
1953年に建てられた石碑には南風原陸軍病院壕、重傷患者二千余名自決之地と刻まれていますが、亡くなった人の数は未だに明らかにされていないそうです。
南風原町は戦争の悲惨さを伝える証として、1990年、現存する第1外科壕群と第2外科壕群を文化財に指定しました。
南風原陸軍病院壕・悲風の丘の地図はこちら。
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「世界のうちなーんちゅ大会」が催されるほど、世界には沖縄出身の海外移住者が多くいますが、南風原町からも多く移民者が出ています。
その先は南米、ハワイ、フィリピンなど。
ブラジル移民の中には、移民団の沖縄移民総代となった城間真次郎やのちに日系人初の歯科医師となった金城山戸、天才賭博師「イッパチ」としてブラジルにその名をはせた儀保蒲太がいたそうです。
新垣弓太郎は、中国本土に渡り、孫文の同志として辛亥革命を戦ったといわれています。
総代の城間真次郎さんが詠んだ琉歌「雨や降て湿めて 季節待ちゅらでもの 播(ま)き起きし種の はえなうちゅみ」が刻まれた記念碑が南風原文化センターの敷地内に建てられています。
「1世がまいた種が2世、3世の時代に芽を出し、子孫が繁栄してほしい」という願いが込められているそうです。
南風原移民の碑の地図はこちら。
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沖縄戦当時、本土へ集団疎開する学童たちは少なくありませんでした。
南風原町の国民学校も例外ではなく、1944年8月に対馬丸と同じ船団で熊本県に124人、次いで9月に宮崎県へ146人が疎開。
2年間の生活を経て1946年に帰郷しました。
2004年、疎開者が疎開地の足跡を訪れたことをきっかけに、「南風原国民学校 学童集団疎開記念碑」を建立。
南風原町の黄金森公園内・南風原文化センターの入り口で見ることができます。
記念碑の説明板には「ややもすると忘れ去られがちな、この「学童集団疎開」の実態と、それが「沖縄戦の一環で国策として遂行された」という歴史的事実を後世に伝え、戦争を拒否し平和を創造していくという強い意志をもって、南風原国民学校学童集団疎開記念碑を建立します」と書いてありました。
南風原国民学校 学童集団疎開記念碑の地図はこちら。
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「南風原文化センター」で企画展が催されています。
「検証4・28『屈辱の日』展」が4月25日から5月26日まで開催中です。
「6・23」(慰霊の日)「4・28」(屈辱の日)、「5・15」(復帰の日)のつながりから沖縄戦後史を考える写真資料、用語解説、新聞など約600点を展示。
サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日が「屈辱の日」と表現された意味、そして「主権とは何か」と考えさせられる企画展になっています。
「沖縄戦後50年史」の映像も上映されています。
子供たちにも理解されやすいよう、丁寧な説明になっています。
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那覇市首里末吉町の末吉公園内に「組踊」の創始者・玉城朝薫の生誕三百年記念の石碑があります。
この石碑には玉城朝薫の代表的な組踊作品五組が描かれています。
これは琉球王朝時代、冊封使を歓待するために踊奉行に任命された朝薫が考え出したもので、組踊の白眉と讃えられるほど、完成度の極めて高い作品だといわれています。
代表的な作品五組は「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」「銘苅子(めかるしぃ)」「孝行之巻(こうこうのまき)」「女物狂(おんなものぐるい)」「二童敵討(にどうてきうち)」。
墓は浦添市前田にあります。
組踊は昭和47年に国の重要無形文化財に指定されました。
玉城朝薫の生誕三百年記念碑の地図はこちら。
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豊見城市に位置する「瀬長島」には、組踊り作者、平敷屋朝敏生誕300年を記念して建てられた石碑があります。
沖縄の組踊は2010年11月16日ユネスコ無形文化遺産に認定されました。
平敷屋朝敏は、勝連町(現在のうるま市)にゆかりのある人物ですが、瀬長島に建てたのは、その中の一作「手水の縁」の舞台となったからです。
記念碑は「手水の縁」「仲風節」「生誕300年顕彰碑」の3つがあり、真ん中が「生誕300年顕彰碑」となります。
左側の碑「世間とよまれる 瀬長山見れば 花や咲き美しさ 匂しほらしゃ」(世に名高い瀬長山を見れば、花は美しく咲き匂いも香しい)。
右側の碑「語て呉れ 恋ひ渡ら 浮世鳥鳴かぬ 島のあらは」(「語ってくれ、恋をしに島に渡ろう この世で夜明けを告げる鳥が鳴かない島があるならば)。
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2月10日は、旧暦の1月1日。
旧正月にあたります。
旧暦の文化が根強い糸満地区では、今年も漁船に大漁旗がはためいていました。
航海安全と大漁を祈願し、華やかに彩られています。
旧暦の元旦、未だ夜が明けないうちに、漁師たちが掲げます。
なんでも初詣の後に大漁旗を掲げるのが恒例だとか。
さすが、「海人(うみんちゅ)のまち」といわれることはあります。
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「やちむん通り」は、那覇市壺屋にある通りの名前で、主に壺屋焼きを扱う雑貨店などが建ち並んでいます。
「やちむん」は沖縄の方言で「焼物」という意味。
この通りは県内の職人の作品を取り扱う昔ながらのお店や、石畳、大きなガジュマルなど、昔の風景が濃く残っています。
沖縄県指定文化財の「南窯(ふぇーぬかま)」も「やちむん通り」にあります。
壺屋焼きだけでなく、琉球ガラスやアクセサリーなど、伝統を重んじながらも若者のニーズに応えています。
また、陶芸教室やカフェなどもあるので、散策の幅も広がります。
壺屋焼きについて知りたくなったら「壺屋焼博物館」で学ぶのもよいでしょう。
やちむん通りの地図はこちら。
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お正月にしめ縄を飾るのは恒例となっていますが、全国各地ごとに特徴もあるようです。
沖縄のしめ縄には「子孫繁栄」「豊年満作」の願いが込められています。
わらを使用するのは、種から出た芽がまっすぐに伸びるわらを使い、作物が豊かに実る「豊年満作」の祈りを込めているから。
そして下の方にミカン、昆布で巻いた炭がくくりつけられているのが沖縄のしめ縄の特徴。
みかんは橙(だいだい)、炭(たん)と昆布(よろこんぶ)をかけて「代々たんと喜こぶ」という意味が込められているそうです。
ちなみに漢字で書くと「注連縄」だそうです。
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