「きむたかホール」は、地域住民の芸術文化や人材育成の拠点づくりを目的とし、平成13年5月、うるま市の勝連平安名にオープンしました。
うるま市勝連庁舎、図書館に隣接しています。
「きむたか」とは、“気高い”“品位ある”などを意味し、勝連の高い生活文化を讃える町の美称です。
客席数516席、リハーサル室、ラウンジ、ギャラリーを備え、6パターンに展開できる客席機構パターンにより、あらゆる催し物に柔軟に対応することができるとのこと。
営業時間は午前9時~午後10時。
使用料については、公式サイトへ。
きむたかホールの地図はこちら。
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「プラザハウスショッピングセンター」は、沖縄市にある複合型ショッピングセンターです。
近頃、近くに「ライカム沖縄」がオープンしたばかりですが、アメリカ統治下にある1954年7月、当時のコザ市の頃からの歴史あるショッピングセンターです。
この統治下時代を含めば、日本で最古のショッピングセンターだそうです。
当初はアメリカ人専用だったこともあり、今でも異国情緒あふれる雰囲気。
パリやミラノからファッション・アクセサリーを直輸入するロージャースをはじめ、エスニック雑貨や各国料理のレストランなど、幅広いお店が出店しています。
プラザハウスショッピングセンターの地図はこちら。
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沖縄県本島うるま市勝連に、外間家の高倉は残っています。
建築してからおよそ110年以上経つといわれ、昭和53年12月に移築されたそうです。
学校の授業で学んだことのある「高床式倉庫」で、ねずみの害や湿気からもみを守るために作られました。
奄美諸島、沖縄諸島、宮古島以外の八重山諸島に、この形式の倉庫は分布しています。
沖縄諸島の高倉は、柱が2本、6本、9本だったりしますが、八重山諸島の高倉は柱が低く、また違った形をしているようです。
うるま市市役所勝連庁舎の敷地内にあり、図書館の裏に隠れるようにあります。
外間家の高倉の地図はこちら。
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「グスクロード公園」の敷地内に、玉城中学校発祥の地の石碑があります。
入り口を通りすぎてすぐに見つけることが出来るでしょう。
昭和23年4月に「玉城中等学校」として創立された後、昭和27年に「玉城中学校」と改称しました。
現在この中学校は、小学校と共に南城市役所のすぐ横にあります。
小中学校が無い「奥武島」からも生徒が登校してきます。
ちなみに、三重県にも同じ漢字の「玉城中学校」とあるそうですが、こちらの読みは「たまき」、沖縄県南城市の「玉城中学校」の読みは「たまぐすく」となっています。
玉城中学校発祥の地の地図はこちら。
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「宿道(スクミチ)」とは、琉球王朝時代の間切り(現在でいう市町村)の幹線道路のこと。
当時の情報は、首里王府から国頭、中頭、島尻へと伝えられました。
当然、当時は自動車や自転車もありません。
人々の交通手段は徒歩なので、宿道の至る所に「東屋」が設けられています。
「東屋」とは簡単な休憩所のこと。赤瓦の屋根と座るベンチしかありません。
幕末にペリーが沖縄に上陸し、何日もかけてこの「宿道」を歩いたそうで、その様子はアメリカで出版された「日本遠征記」にあるそうです。
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「今帰仁村総合運動公園」の入り口横にある「渡喜仁の宿道」。
「宿道(スクミチ)」とは、琉球王朝時代の間切り(現在でいう市町村)の幹線道路のこと。
現在は旧道となっていて、周りの景色も侘しいですが、当時は道端には松の並木があったそうです。
当時の首里王府からの情報は、その道を通って中頭・国頭・島尻へと伝えられたそうです。
この道は「渡喜仁から運天まで」の宿道だったということです。
宿道の基礎を作ったのは尚巴志(しょうはし)だそうです。
渡喜仁の宿道(スクミチ)の地図はこちら。
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仲原馬場(ナカバルババ)は別名マーウイとも呼ばれ、今帰仁小学校の西側に位置する競馬場跡地です。
馬場は距離が約250m、幅約30m。
昭和34年6月1日に県の文化財(史跡)指定をうけています。
しかしいつ頃作られたのかは不明で、古記の航海日誌などから推測すると、1614年頃には競馬が行われていたようです。
観覧席の名残もわずかながら残されていて、写真でも分かる通り、周りには立派な琉球松並木が連なっています。
他にも沖縄各地にあった馬場は、沖縄戦で破壊され、現在では沖縄で唯一形を残している馬場となっています。
仲原馬場の地図はこちら。
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「今帰仁小学校」は、明治15年6月23日、謝名仲原35番地に旧村学校の建物を借用し開校しました。
当時の生徒数は53名。
今帰仁尋常小学校と改称し兼次村北屋敷に移転。
さらに、昭和32年には謝名253番地(現敷地)に移転しました。
130年以上もの歴史を持つ、伝統ある学校です。
最初の敷地であった場所には、石碑が建てられていました。
緑豊かな住宅地の角にひっそりと建っています。
今帰仁小学校発祥の地の地図はこちら。
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沖縄各地には慰霊の塔が存在します。
特に南部の「ひめゆりの塔」は有名で、本土の学校から修学旅行で訪れることも多いです。
沖縄本島北部の本部町と瀬底大橋で繋がっている「瀬底島」にも慰霊塔がありました。
大東亜戦争戦没者慰霊塔と書かれています。
慰霊の日になると、島々の方々で供養をするそうで、豊年祭などのお祭りもこの前で行われるそうです。
瀬底島 慰霊塔の地図はこちら。
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「御嶽(うたき)」とは、沖縄県の各所に存在する、沖縄の人々のあいだで信仰されている聖地のこと。
大体が、集落の中に一つはあります。
御嶽のなかに「拝所(うがんじゅ)」が設けられ,ここで祈願がおこなわれています。
名護市山入端は1736年に移動してきた村です。
その際に作られたものだと思われます。
「ホテルリゾネックス名護」を左手にして、信号を右折すると、すぐ右側に鳥居が見えます。
写真の奥に見えるものが「拝所(うがんじゅ)」と思われます。
山入端御嶽の地図はこちら。
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