きむたかホール

5月 31, 2015

「きむたかホール」は、地域住民の芸術文化や人材育成の拠点づくりを目的とし、平成13年5月、うるま市の勝連平安名にオープンしました。

うるま市勝連庁舎、図書館に隣接しています。

「きむたか」とは、“気高い”“品位ある”などを意味し、勝連の高い生活文化を讃える町の美称です。

客席数516席、リハーサル室、ラウンジ、ギャラリーを備え、6パターンに展開できる客席機構パターンにより、あらゆる催し物に柔軟に対応することができるとのこと。

営業時間は午前9時~午後10時。

使用料については、公式サイトへ。

きむたかホールの地図はこちら。

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「プラザハウスショッピングセンター」は、沖縄市にある複合型ショッピングセンターです。

近頃、近くに「ライカム沖縄」がオープンしたばかりですが、アメリカ統治下にある1954年7月、当時のコザ市の頃からの歴史あるショッピングセンターです。

この統治下時代を含めば、日本で最古のショッピングセンターだそうです。

当初はアメリカ人専用だったこともあり、今でも異国情緒あふれる雰囲気。

パリやミラノからファッション・アクセサリーを直輸入するロージャースをはじめ、エスニック雑貨や各国料理のレストランなど、幅広いお店が出店しています。

プラザハウスショッピングセンターの地図はこちら。

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外間家の高倉

4月 22, 2015

沖縄県本島うるま市勝連に、外間家の高倉は残っています。

建築してからおよそ110年以上経つといわれ、昭和53年12月に移築されたそうです。

学校の授業で学んだことのある「高床式倉庫」で、ねずみの害や湿気からもみを守るために作られました。

奄美諸島、沖縄諸島、宮古島以外の八重山諸島に、この形式の倉庫は分布しています。

沖縄諸島の高倉は、柱が2本、6本、9本だったりしますが、八重山諸島の高倉は柱が低く、また違った形をしているようです。

うるま市市役所勝連庁舎の敷地内にあり、図書館の裏に隠れるようにあります。

外間家の高倉の地図はこちら。

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「グスクロード公園」の敷地内に、玉城中学校発祥の地の石碑があります。

入り口を通りすぎてすぐに見つけることが出来るでしょう。

昭和23年4月に「玉城中等学校」として創立された後、昭和27年に「玉城中学校」と改称しました。

現在この中学校は、小学校と共に南城市役所のすぐ横にあります。

小中学校が無い「奥武島」からも生徒が登校してきます。

ちなみに、三重県にも同じ漢字の「玉城中学校」とあるそうですが、こちらの読みは「たまき」、沖縄県南城市の「玉城中学校」の読みは「たまぐすく」となっています。

玉城中学校発祥の地の地図はこちら。

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「宿道(スクミチ)」とは、琉球王朝時代の間切り(現在でいう市町村)の幹線道路のこと。

当時の情報は、首里王府から国頭、中頭、島尻へと伝えられました。

当然、当時は自動車や自転車もありません。

人々の交通手段は徒歩なので、宿道の至る所に「東屋」が設けられています。

「東屋」とは簡単な休憩所のこと。赤瓦の屋根と座るベンチしかありません。

幕末にペリーが沖縄に上陸し、何日もかけてこの「宿道」を歩いたそうで、その様子はアメリカで出版された「日本遠征記」にあるそうです。

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「今帰仁村総合運動公園」の入り口横にある「渡喜仁の宿道」。

「宿道(スクミチ)」とは、琉球王朝時代の間切り(現在でいう市町村)の幹線道路のこと。

現在は旧道となっていて、周りの景色も侘しいですが、当時は道端には松の並木があったそうです。

当時の首里王府からの情報は、その道を通って中頭・国頭・島尻へと伝えられたそうです。

この道は「渡喜仁から運天まで」の宿道だったということです。

宿道の基礎を作ったのは尚巴志(しょうはし)だそうです。

渡喜仁の宿道(スクミチ)の地図はこちら。

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仲原馬場

11月 25, 2014

仲原馬場(ナカバルババ)は別名マーウイとも呼ばれ、今帰仁小学校の西側に位置する競馬場跡地です。

馬場は距離が約250m、幅約30m。

昭和34年6月1日に県の文化財(史跡)指定をうけています。

しかしいつ頃作られたのかは不明で、古記の航海日誌などから推測すると、1614年頃には競馬が行われていたようです。

観覧席の名残もわずかながら残されていて、写真でも分かる通り、周りには立派な琉球松並木が連なっています。

他にも沖縄各地にあった馬場は、沖縄戦で破壊され、現在では沖縄で唯一形を残している馬場となっています。

仲原馬場の地図はこちら。

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「今帰仁小学校」は、明治15年6月23日、謝名仲原35番地に旧村学校の建物を借用し開校しました。

当時の生徒数は53名。

今帰仁尋常小学校と改称し兼次村北屋敷に移転。

さらに、昭和32年には謝名253番地(現敷地)に移転しました。

130年以上もの歴史を持つ、伝統ある学校です。

最初の敷地であった場所には、石碑が建てられていました。

緑豊かな住宅地の角にひっそりと建っています。

今帰仁小学校発祥の地の地図はこちら。

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瀬底島 慰霊塔

10月 17, 2014

沖縄各地には慰霊の塔が存在します。

特に南部の「ひめゆりの塔」は有名で、本土の学校から修学旅行で訪れることも多いです。

沖縄本島北部の本部町と瀬底大橋で繋がっている「瀬底島」にも慰霊塔がありました。

大東亜戦争戦没者慰霊塔と書かれています。

慰霊の日になると、島々の方々で供養をするそうで、豊年祭などのお祭りもこの前で行われるそうです。

瀬底島 慰霊塔の地図はこちら。

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「御嶽(うたき)」とは、沖縄県の各所に存在する、沖縄の人々のあいだで信仰されている聖地のこと。

大体が、集落の中に一つはあります。

御嶽のなかに「拝所(うがんじゅ)」が設けられ,ここで祈願がおこなわれています。

名護市山入端は1736年に移動してきた村です。

その際に作られたものだと思われます。

「ホテルリゾネックス名護」を左手にして、信号を右折すると、すぐ右側に鳥居が見えます。

写真の奥に見えるものが「拝所(うがんじゅ)」と思われます。

山入端御嶽の地図はこちら。

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