波上宮の境内へ向かう参道の左手に、「天皇のおことば」という石碑が建てられていました。
第二次世界大戦の後、沖縄の悲惨な現状への哀悼の意と復興の願いを込めた言葉です。
石碑には「思はざる病となりぬ 沖縄をたづねて果さむ つとめありしを」と彫られています。
沖縄は戦後アメリカの占領下となり、来沖を願っていた昭和天皇陛下が訪れることが出来る頃には、病によって叶うことはありませんでした。
その思いを綴った手紙の内容が、石碑となってここに残されています。
「さきの大戦で戦場となった沖縄が、島々の姿をも変える甚大な被害を蒙り、一般住民を含む府数多の尊い犠牲者を出したことに加え、戦後も長らく多大の苦労を余儀なくされてきたことを思うとき深い悲しみと痛みを覚えます。」という冒頭から始まり、「健康が回復したらできるだけ早い時期に訪問したい。」「平和で幸せな社会をつくり上げるため、更に協力してくれることを切に希望します。」と綴られていました。
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波上宮の第一の鳥居をくぐり、駐車場に車を停めると、その向かいに「醫生教習所記念碑」があります。
旧漢字で書いてあるので分かりづらいですが、「医生教習所記念碑」です。医師養成所のこと。
すぐ横の開設碑には、「昭和3年、教習所出身の有志により、教習所発祥の意義とその功績を後世に伝えるべく、建立された」とあります。
長い年月を経て雨風にさらされ続け、文字が剥落し、倒壊の危険もあることから、現在の記念碑へと再建されたそうです。
最初の記念碑は、現在県立博物館に保存されていいます。
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那覇市若狭にある神社で、「琉球沖縄八社」のうちの一つである「波上宮(なみのうえぐう)」。
「琉球沖縄八社」とは、琉球王朝時代の「琉球八社の制」により王府から特別の扱いを受けた8つの神社のこと。
「波上宮」は那覇港を見渡せる崖の上に建っていて、遥か遠くの海の彼方(ニライカナイ)の神々に祈りを捧げたのが起源となっているようです。
南側には併置された護国寺があります。
平成18年、長年にわたり信仰の場や景勝地として親しまれてきたことを理由に、敷地一帯が「波上(なんみん)」として那覇市の史跡・名勝文化財へと指定されました。
琉球沖縄八社「波上宮」の地図はこちら。
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「キジムナー」は、沖縄に昔から伝わる伝説上の生き物。
古いガジュマルに住む精霊で「体中が真っ赤な子ども」「赤髪の子ども」の姿で現れると言われています。
魚の目玉が好物で、いたずらもするものの、人間と共存する妖怪として扱われます。
沖縄では交通安全の呼びかけやモニュメントなど、あちこちで見られるほどに親しまれています。
ちなみに「キジムナー」という呼び名は、沖縄県国頭郡大宜味村の喜如嘉(きじょか)という地が伝承発祥の地であることから由来しているそうです。
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「琉球一の人物」になるように願ってつけられた名前、徳田球一は、名護市出身。
記念碑には徳田球一の肖像と「為人民無期待献身(人民のために期待することなく献身する)」と言う言葉が彫刻されています。
肩書きは弁護士、政治家、思想家で、社会主義運動に参加し、日本共産党を創建。
1928年3.15事件で検挙され、18年もの間獄中生活をしていました。
第二次世界大戦後、出獄して日本共産党を再建するも、1950年マッカーサーによって追放され、中国へ亡命しました。
戦前戦後の苦難の時代を人民のために奔走した、その高い志を讃え、1998年に記念碑が建立されました。
徳田球一記念碑の地図はこちら。
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沖縄市久保田のプラザハウス内1階にある「シェーキーズ プラザハウス店」は、ランチバイキング(大人1,080円)、ディナーバイキング(大人1480円)が人気です。
1954年にアメリカのカリフォルニア州のサクラメントにて誕生したのち、大人から子供まで楽しめるピザやパスタを中心としたレストランとなって、世界中に店舗があります。
1973年に日本の赤坂に上陸し、お手頃な値段でアメリカンフードを楽しめるとして人気が広がっていきました。
プラザハウス店は、アメリカ独特の雰囲気を持ったプラザハウスの雰囲気そのままの中、他店とは違った雰囲気が楽しめるのが特徴です。
シェーキーズ プラザハウス店の地図はこちら。
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「島田叡氏顕彰碑」の建立にあわせ、同じ敷地内の奥武山公園の野球グラウンド(多目的広場)が、学生野球の名選手だった島田氏の球歴にちなみ、「兵庫・沖縄友愛グラウンド」と名付けられました。
兵庫県出身の島田氏は、旧制神戸二中(現在の兵庫高)時代から俊足・巧打の外野手として活躍。
東京ドーム内の野球殿堂博物館には、戦没野球人の一人として名が残っているそうです。
「兵庫・沖縄友愛グラウンド」は右翼90メートル、左翼85メートルの外野天然芝。
決して大きなグラウンドとは言えませんが、少年野球や草野球などで休日賑わっています。
兵庫・沖縄友愛グラウンドの地図はこちら。
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沖縄戦当時、沖縄の県知事だったのは1945年1月に赴任した島田叡氏でした。
出身は兵庫県で、戦時中の砲火の中、住民保護に全力をつくしました。
その顕彰をたたえ2015年6月、奥武山公園内に「島田叡氏顕彰碑」が建立されました。
琉球石灰岩の台座に「魂」や「和」をイメージしたステンレスの球体を組み合わせたデザインとなっています。
島田氏は最後まで住民に生き続けるよう説き、住民のために避難策や食糧確保に奔走したことから「島守(しまもり)」と呼ばれ、今でも慕われています。
島田叡氏顕彰碑の地図はこちら。
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「くぅーすの杜 忠孝蔵」は沖縄県豊見城市にある泡盛の酒造所です。
「木造古酒蔵」は首里城に次ぐ木造建築だそうで、一升瓶換算で2万5千本貯蔵のタンクが18本、合計45万本分の古酒と、5升甕、一斗甕が合計約800個が並んでいます。
また、忠孝蔵は昔の泡盛製造を再現し、地釜甑による米蒸し、忠孝窯製作の甕仕込み、沖縄本島では唯一の地釜蒸留など、生きた泡盛造りをガラス越しに見学することができます。
そして古酒を預かるシステムの「ザ・オーナーズ」は、記念や思い出を古酒に託すサービスです。詳細はHPにて。
くぅーすの杜 忠孝蔵の地図はこちら。
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「琉球泡盛」はご存知の方も多いですが、沖縄に昔から伝わるお酒です。
泡盛は、日本の税法上では単式蒸留焼酎に分類され、本土の本格焼酎と同じジャンルになりますが、製法が大きく違います。
他にもタイ米を使用していること、黒麹菌を利用していることなどが挙げられます。
泡盛は瓶で販売されているものもありますが、壺貯蔵によりさらに熟成が進み、旨味が増します。
また見た目も趣があり、贈り物にも選ばれています。
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