首里城の近くに、金城町石畳という名称の道があります。
その名の通り石で敷き詰められた道なのですが、琉球石灰岩で造られた石畳となっています。
道の両側には昔ながらの赤瓦の家屋が多く、情緒あふれる散歩道は「日本の道百選」にも指定されています。
琉球王朝時代には、首里城から那覇港や南部方面へと通じる道路で、「真珠道」と呼ばれていました。
現在は、かろうじて戦火をまぬがれた約300mの石畳が残っています。
雰囲気は昔ながらの沖縄。眼下に首里の町を眺めることができるので、一度は通ってみたい散歩道となっていますが、結構急な坂道になっているので、雨の日などは注意した方が良さそうです。
ちなみに、NHK「ちゅらさん」に出てくる、那覇の古波蔵家はこの辺りだそうです。
那覇市首里にあり、かつての琉球王朝時代の沖縄県内最大の城(グスク)でした。
450年にも及ぶ王国の政治、、軍事、外交、文化の中心となっていましたが、1879年(明治12)春、首里城から国王が追放され「沖縄県」となった後、首里城は日本軍の駐屯地、各種の学校等に使われました。
それまでは国宝とされていた首里城は、1945年の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊され、今ではわずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っているだけだそうです。
2000年12月、『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として世界遺産に登録されたのですが、登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではないことがミソです。
他の日本の城とは違い、首里城は中国の城の影響を大きく受けています。漆で朱塗りされているのもそのためで、各部の装飾には国王の象徴である龍もたくさん使われています。
正殿の前にある広場は「御庭(うなー)」と呼ばれ、様々な式典の会場に使われていたそうです。現在も琉球舞踊の上演や首里城祭などイベントが催されています。
首里城の地図はこちら。
現在、沖縄県内では10人が人間国宝に認定されています。
故金城次郎氏(琉球陶器)、玉那覇有公氏(紅型)、宮平初子氏(首里の織物)、故与那嶺貞氏(読谷山花織)、平良敏子氏(芭蕉布)、島袋正雄氏(琉球古典音楽)、照喜名朝一氏(琉球古典音楽)、故島袋光史氏(組踊音楽太鼓)、城間徳太郎氏(組踊音楽歌三線)、宮城能鳳氏(組踊立方)の10人です。
人間国宝が日々行う技の錬磨向上や伝承活動などを広く一般に
紹介し、1人でも多くの県民に伝統文化の素晴らしさを認識してもらう目的で開催されたもので、人間国宝10人の作品を一堂に集めての展示は初めてです。
展示場では3日間多くの人が沖縄コンベンションセンターを訪れ、最終日の今日、舞台劇場の入口は
開始1時間前から長蛇の列となりました。
沖縄には独特の文化と歴史があり、それぞれの分野で守り、維持し、技を極め、今日まで多くの作品を
残してきた10人の集大成は見る者をただ圧巻させるばかりでした。
沖展とは、「沖縄美術展覧会」のことで、毎年3月~4月の時期に沖縄タイムス社主催で催されます。
戦後、沖縄の芸術運動を創成、牽引してきた歴史ある美術工芸公募展となっていて、第60回となる今年は、浦添市民体育館と浦添市美術館で絵画、版画、彫刻、グラフィックデザイン、書道、写真、工芸が一斉に展示され、現在も開催中。
また、沖展草創期の作家作品を展示し、沖展60年の歴史を写真パネルで振り返る「沖展60回のあゆみ」コーナーを会場内に設けてあります。
浦添市では4月6日までですが、4月12日からは「やんばる移動展」が名護市二十一世紀の森体育館と名護市労働福祉センターで開催されるもようです。
「沖展60回のあゆみ」「やんばる移動展」共に、60回を記念しての特別企画ということです。
浦添市民体育館の地図はこちら。
沖縄の道を歩いていると、あちらこちらに見かけることが出来ます。
「いしがんとう」と読むのですが、これはT字路や三叉路の突き当たり、
又は家の門前などに設置されていて、その理由が”魔物(マジムン)は
角を曲がるのが苦手”というところから来ているそうです。
シーサーに続く沖縄の魔除けとして、お土産にも重宝されています。
石巌當は中国福建省地方から、15世紀の半ば頃伝わりましたが、
実は16世紀末には日本本土に及び秋田、青森まで広がったとの
ことで、意外にも沖縄以外で見ることができるかもしれません。
(保証はできません)
写真の石敢當は小さなシーサーとセットになっていますが、形は様々です。