糸数城跡
糸数城跡は、沖縄本島の南部にある、南城市にあります。
玉城城跡の西の守り城として築かれたと言われ、標高180mの台地にそびえる城です。
現在の糸数村落南側の断崖上に築かれた古城で、築城年代は不明ですが、おそらく「三山分立時代」の初期14世紀前年の築城であろうと思われています。
城壁は野面積みと切石積みと両方用いられ、切石積みの部分が最も高く約6メートル。
城内の随所からは土器に混じって中国製品の陶磁器類が発見されています。
糸数城跡は、沖縄本島の南部にある、南城市にあります。
玉城城跡の西の守り城として築かれたと言われ、標高180mの台地にそびえる城です。
現在の糸数村落南側の断崖上に築かれた古城で、築城年代は不明ですが、おそらく「三山分立時代」の初期14世紀前年の築城であろうと思われています。
城壁は野面積みと切石積みと両方用いられ、切石積みの部分が最も高く約6メートル。
城内の随所からは土器に混じって中国製品の陶磁器類が発見されています。
「かきのはなひーじゃー」と読みます。写真は垣花樋川へ続く坂道から見えた海。
樋川は子供たちが水遊びをしている左側から流れています。
垣花樋川は、南城市玉城字垣花にあり、環境省選定の名水100選の1つ。男(イキガ)川、女(イナグ)川の他に
馬浴(ウマアミシー)川があります。
車を降りて石畳の坂道を降りると、写真のような風景に出会えます。
かつては村の人々がここで水浴びをし、洗濯や野菜洗いをし、水を汲んで坂道を行き来していたようです。
ご覧の通り眺めがとてもきれいで、流れてくる水もきれいで冷たいので、休みの日には地元の人たちの憩いの場となっています。
南城市にはもう1つ、仲村渠樋川も有名です。
琉球ガラスは、明治時代の太平洋戦争後、アメリカ軍の捨てたコーラやビールの空き瓶を溶かして再生したことが琉球ガラスの始まりだそうです。
昭和初期まで、ランプのホヤ、薬瓶、菓子瓶ハエ取り器などの生活必需品が主流でした。
琉球ガラスは手吹きで作られ、1つ1つ色や形が微妙に違います。
琉球ガラス村は、沖縄県内最大の琉球ガラステーマパークと言われ、工房はもちろん、ショッピングセンターなど施設も充実。年間3万個が作られています。
その工房を見学することもでき、タンク窯(写真中央)の熱気で汗ばむ中の職人さんたちの技法につい見とれてしまいます。
体験することもできますので、まさしく世界に1つだけのオリジナル作品を作ってみるのもいいでしょう。
年中無休の9時~18時まで。
勝連城跡は、本島中部のうるま市(旧勝連町)の勝連半島にあります。
13世紀から14世紀に茂知附按司により築城したとされ、最後の城主は阿麻和利。
阿麻和利はクーデターを起こしてこの地方の按司となり、琉球の統一を目論みましたが、1458年に琉球王府によって滅ぼされたとされています。
それまでは、海外との貿易をさかんにおこない、首里城に負けないほどに栄えていたようです。
2000年11月、琉球王国のグスク及び関連遺産群として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されました。
登録されたグスクの中では最も築城年代が古いグスクと言われています。
観覧料は無料で、数多くの観光客や地元人も訪れるので、駐車場も設置されました。
城内へ行くまでにかなり傾斜が多いので、運動靴を履いていても気をつけた方がいいかもしれません。
沖縄本島南部に位置する南城市玉城に、仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー)はあります。
透水性の高い琉球石灰岩の台地からは湧水が出る泉が多くあり、その湧水を引いて水を貯える施設を樋川(ひーじゃー)といいます。仲村渠は地名。
沖縄で仲村渠樋川といえば「垣花樋川(かきのはなひーじゃー)」と並んで有名です。
昔の人の水浴びや飲料水、洗濯用の水など生活用水として利用されていましたが、現在は畑用の水として利用されています。
木製の共同用水施設から、大正時代に琉球石灰岩へと造り替えられ、平成7年6月27日に国の重要文化財として指定されました。
最近は水量が少ない時もあり、栓をして流れを調整している事もあるようです。
樋川まで続く石畳とがじゅまるの木々が、昔ながらの情景をより一層かもし出しています。
「国立劇場おきなわ」は、沖縄県本島南部に位置する浦添市に、平成16年開場しました。
沖縄には「組踊」「琉球舞踊」「三線音楽」など、独自の伝統芸能があります。
昭和47年に「組踊」が国の重要無形文化財に指定されましたが、伝統芸能を公開、後継者養成などの専門的な施設が無く、この「国立劇場おきなわ」の建設が決定されたのです。
沖縄伝統芸能の保存振興を目的として、現在では様々な沖縄伝統芸能が毎月公演されています。
大劇場、小劇場の他に稽古室や資料展示室も備わっており、まさに本格的な伝統芸能を堪能することができます。
沖縄のイメージでは海や空などが強いですが、沖縄に来た際、または観光客を案内する際にはぜひ訪れて欲しい場所のひとつです。
資料展示室は入室無料ですが、開室時間が決まっていますので気をつけてください。
紅型は、15世紀頃、琉球王朝の王府の保護のもとで、日本本土や中国・東南アジアなどの様々な文化を吸収しながら、南国沖縄独自の染物として育ちました。
紅型は沖縄を代表する伝統的な染織技法の一つで、当時は王族など上流階級の人たちにしか着ることができなかったそうです。
写真の黄色の衣装は、フクギなどの天然染料が使用されており、昔から王族の色として決められていたそうです。
その後の廃藩置県で王族というスポンサーをなくした紅型は、どんどん衰退していきました。
が、それから日本本土の高い評価を受け、紅型は再び脚光を浴びることとなります。
現在では、沖縄の伝統を残そうと、跡継ぎや技法の後継者探しなどと共に、ハンカチや財布などの小物類も販売されていて、紅型をより身近に感じることができます。
沖縄ではどこでも見かけることのできる赤瓦屋根。
私達地元人は生まれた時から身近にあり、それが当たり前になっていますが、本土では主に黒色系の瓦が利用されているので、観光客など初めて見る人は印象に残るそうです。
ですが、沖縄の赤瓦も、実は18世紀以降のものがほとんどで、それより前は灰色系の瓦が主流だったそうです。
赤色系の瓦と、灰色系の瓦は、焼成方法に違いがあり、後々、コストも灰色瓦より抑えられ、なおかつ工程が簡単な赤瓦が増えてきたとのこと。
今ではコンクリート住宅が増え、赤瓦の家も減ってきていますが、やはり沖縄のイメージのひとつ。写真のような休憩所や公園のトイレ、バス停など公共の場所に利用されています。
減ってきたとはいえ、もちろん今でも住宅屋根やマンションの出入り門、居酒屋の屋根などにも多く使われています。
最近では「赤瓦コースター」というのも出てきています。赤瓦の吸収率をうまく活かした、コースターです。
割れた時に願いが叶うという「赤瓦ストラップ」というのもあります。
沖縄県本島にある浦添市に、てだこホールはあります。
浦添市における学習・文化・交流の拠点となる施設として、市民が文化振興を推進していく劇場・ホール・のあり方を探求し、これまでの鑑賞型スタイルから脱皮した市民参加型の市民会館。
2007年4月にオープンし、公募により名前が決まりました。
壁にあるデザインはシーサーです。
中身は千人収容の大ホールを擁し、てだこまつりをはじめ、様々なコンサートやイベントが行われています。
「てだこ」とは、本来「太陽」という意味になりますが、「てだこの街」というように「浦添市」の代名詞で多く使われています。
ホールには、災害時に緊急の物資補給が必要な場合に無償で飲料を提供する自動販売機「緊急時飲料提供ベンダー」が設置されています。
浦添市美術館の隣りにあります。
南城市知念にある知念城跡。
沖縄の数ある城跡の中のひとつ。
中国との貿易の盛んだった時代、知念按司の居城でもあり、17世紀末に改築され後に知念番所(役所)として使われてたそうです。
神域としてのグスクでもあり、今でも残っている拝所に訪れる人もいるそうです。
草木が生い茂っていますが、石垣も割と形を残しています。
中に進んでいくと広場のようなところに出ます。そこから眺める海景色は、太陽の光と真っ青な海のコントラストで、まるで時間が止まったような感覚になります。
沖縄の世界遺産、斎場御嶽の近くです。
駐車場がありますが、置き引きに注意という看板があるほどなので気をつけましょう。