中城城跡の城壁に琉球石灰岩を使用されていることはご存知でしょうか。
琉球石灰岩は南西諸島に広く分布している地層のことで、さんご礁のはたらきで形成されたものです。
沖縄県では約30%の土地が琉球石灰岩で占められているそうで、県外だと鹿児島県の宝島の北側、喜界島、沖永良部島、与論島にて存在が確認されています。
中城城跡の琉球石灰岩を使った城壁は、沖縄では唯一完全に近い形で残された貴重な遺跡で、1972年5月には国の史跡に指定されています。
「琉球石灰岩」という名がつけられたのは1925年ですが、沖縄では古くから道の石畳や家の周りの石垣に利用されてきました。現在でも、道路舗装用のアスファルトに混ぜる骨材として使われていますが、琉球石灰岩を用いた石畳や道路は、雨で水に濡れると非常に滑りやすくなるという欠点もあるようです。
皆さんご存知のように、「豊見城市」はその前は「豊見城村」でした。
呼び方は「とみしろ」と読んだり、「とみぐすく」と読むものもあります。
「日本一人口の多い村」とされていましたが、2002年、単独で「村」から「町」を飛び越えて一気に「市」へ。現行の地方自治法に基づいて「村」が「市」となった初めての例だそうです。
沖縄本島の南部にあり、那覇市の隣接市として、現在人口増加率が著しい街です。
空港に近い瀬長島も豊見城市の域で、野球場、ビーチ、ゲームセンターなどがあり、市民の憩いの場として親しまれています。現在観光地として工事着工が計画されているようです。
ちなみに「アウトレットモールあしびなー」や「TOMITON」も豊見城市内です。
豊見城市の地図はこちら。
今日は9月18日、「くとぅば」のゴロ合わせで「島くとぅばの日」です。
「島くとぅば」とは、「沖縄の方言」という意味で、沖縄の方言を次世代に残していこうという、沖縄ならではの条例です。
平成18年3月に、実際に県議会により全会一致で可決されたもの。
「はいさい、ぐすーよーちゅーうがなびら」って、訳すとどういう挨拶かわかりますか?「こんにちは、皆さんいかがお過ごしですか」という意味です。
現在、方言が話せるのは50代後半以上の年輩者たち。下の世代に行くにつれて、「なんとなく分かる」「全く分からない」というように、方言が死滅しつつあります。
条例が布かれてまだまだ日は浅いですが、毎年「島くとぅばの日」には、子供たちがお年寄りと交流したり、方言講座などが開かれているようです。
先日紹介した「今帰仁城跡の階段」の横に、昔、実際に使っていたと
される階段がありました。
階段というよりも石畳ですが、昔の人はここを草履で昇り降り
していたんでしょうね。
上まで行くと、ちゃんと「現在の階段」と同じ所、大庭(ウーミヤ)広場に
到着します。
ここは桜を楽しむどころか、横の木々の根が石畳の方まで伸びてきて
いるので下を向いて歩かないととても危険です。
体力に自信のある方、冒険好きな方は一度通ってみてはいかがでしょうか。その際には必ず運動靴を。
今帰仁城跡内にある、入り口から大庭(ウーミヤ)という広場へと続く
階段。
かなり長い階段で登りきった後は一息つくほど。
また、見た目ほど安定していないので足元をよく見て登らないと
つまづいてしまいそうです。
1月下旬頃から2月上旬には、階段の両脇に植えられているカンヒザクラが花を咲かせ、名所としても有名です。
桜が咲いていない時期でも、眼下に見える森が癒してくれます。
沖縄本島国頭郡今帰仁村にある今帰仁城跡は、別名、北山城といい、14世紀に琉球王国三山時代の三山の一つ・北山王の居城であったそうです。
北山は尚巴志に1416年(1422年説もある)に滅ぼされます。
その後も旧北山統治の要所として引き続き使用され、北山監守が派遣されました。
現在も石垣などの遺構の整備が進んでいます。足場が悪いところもあるので、城跡内を歩くときは足元に気をつけた方がいいでしょう。
今帰仁城跡として1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に指定され、カンヒザクラが咲く時期には、地元客だけでなく多くの観光客も訪れます。
城跡の周りは、写真で見てもわかるように亜熱帯の森となっています。遠くに海が見えることも人気の一つ。
観覧料は大人400円、高校生以下300円。
今帰仁城跡の地図はこちら。
てだこホールは浦添市の国道330号線沿いにあります。
琉球舞踊、コンサートなどの文化行事から歴史的行事、そして各団体などのイベントまで幅広く催されているホールです。
市民参加型の文化振興を目的として、2007年に完成、開館しました。
パソコンが設置されている「マルチメディア学習室」もあり、インターネットを使っての講座や技術習得なども出来ます。
浦添市では、このホールが出来る以前は市民会館で各イベントが行われていました。
それの4倍にもなる大ホールは、フルオーケストラやミュージカルの公演でも余裕を持って対応できるそうです。
沖縄県出身のミュージシャンなどのコンサートも催されているので、イベントチェックは欠かせません。
てだこホールの地図はこちらから。
沖縄県立図書館は、那覇市寄宮にあり、与儀公園と那覇市民会館の隣りに位置しています。
奥ばった場所にあるので車道からは見えませんが、沖縄県の歴史書や郷土蔵書から、もちろん小説や雑誌までたくさんの書物を取り扱っています。その数は平成16年度末で約56万冊となり、そのうちの約4割が郷土資料だそうです。
戦前の1910年から存在していて、平成22年に創立100周年を迎えます。
ご存知の通り、沖縄は複数の離島から成り立っているので、全域をここだけでカバーするのは至難ですので、今では宮古と八重山に分館もあり、インターネットでも本の検索をすることが出来ます。
公園が隣りに位置していることもあって、本を借りて青空の下で読むのもいいかもしれません。
県立図書館の地図はこちら。
今日はウークイです。
沖縄の旧盆の最後の日。毎年旧暦の7月13日から15日までを旧盆とし、今日ウークイの最終日には重箱に詰めたお供え物を供えます。
夜遅く、集まった親戚一同がウチカビを焼き、重箱に詰めたお供え物、果物などと共に玄関先で線香を焚いて
「また来年」とお見送り。
写真の重箱は7品ですが、地域や家庭によって品数は違います。奇数であればいいようです。
こんにゃく、魚の天ぷら、お肉、かまぼこ、昆布、揚げ豆腐、ごぼうなど。
下段はお餅。これは12個か15個となっているようです。
旧盆真っ只中の沖縄。
旧暦の7月13日から15日、この3日間の間に、ご先祖様があの世から遊びに(?)帰ってくると言われ、昨日ウンケー(お迎え)をして、今日はナカビ(中日)に当たります。そして明日はウークイ(お送り)。
最終日のウークイには、夜、親戚一同が宴会をした後、ご先祖様があの世でお金に困らないように「ウチカビ」を燃やして線香に火をつけてお見送りします。
「ウチカビ」とは「打ち紙」と書き、あの世のお金のこと。方言で「アンジカビ」「ンチャビ」とも呼ばれるようです。
黄土色の紙の全面に銭の型が打ちうけられています。その数は一枚に10行×10列=100個。
ウチカビを焼いた後、お供え料理を少し銀紙に包み、玄関先で線香を焚いて、「また来年」とお送りするのです。