世持神社は、奥武山公園内にあります。
「よもちじんじゃ」と読みます。
県立武道館の隣にあり、鳥居もしっかり構えられていています。
鳥居をくぐって階段を登ると写真のような広場に出ます。そこの右側に社があります。
奥武山公園には護国神社、沖宮の2つの神社がありますが、3つめの世持神社はほとんど無人状態で、ひっそりとした雰囲気。
琉球王国時代に政治・産業界での功労者、野國總管が祀られているそうです。
野國總管という人は、沖縄史蹟保存会が沖縄を代表する7偉人のうちの1人として、沖縄の歴史上で高い評価を得ている人物です。
ちなみに7偉人は、野國總管の他に「羽地朝秀・具志頭文若・宜湾朝保・儀間真常・程順則・護佐丸」。
世持神社(奥武山公園内)の地図はこちら。
県立奥武山武道館は、那覇市の奥武山公園内にあります。
読みは「おうのやま」公園。
昭和34年に開設された、沖縄初の運動公園で、武道館の他に現在リニューアル中の野球場、テニスコート、弓道場、陸上競技場、水泳プールなど様々なスポーツ愛好者にとって馴染みの深い公園です。
公園の広さは29,8ヘクタール。モノレールの奥武山公園駅と壷川駅に隣接します。
多目的広場やゲートボール場、遊具広場もあるので、老若男女問わず地域の住民の憩いの場となっています。
イベントも多数で、かきぞめ大会、空手大会、舞い初めなど幅広い催しがあります。
現在リニューアル中の野球場は、最近巨人軍キャンプ地に決定されたばかりです。
奥武山・県立武道館の地図はこちら。
沖縄本島南部の那覇市にある波の上宮。波の上ビーチ(現在閉鎖中)の隣りに位置しています。
海岸沿いの崖の上にあるので、波の上橋からも見ることができます。
波上宮は、「海の彼方の理想郷から神が訪れ、人々に幸福をもたらす」という沖縄独特のニライカナイ信仰に始まりました。
その後、神のお告げにより、王府が熊野三神を祀り、豊漁・豊穣などの信仰を集め厚い尊崇を受けてきたそうです。
現在地元人には「なんみん」と呼ばれ、観光客にも親しまれています。
お正月には初詣客で賑わいます。
波の上宮の地図はこちら。
沖縄県の県章は写真の通り。
県庁のホームページによると、『外円は
海洋を表し、白い部分はローマ字の「O」で沖縄を表現するとともに人の和を強調
しています。また、内円は動的に、そして
グローバルに伸びゆく県の発展性を象徴し、いわば「海洋」「平和」「発展」のシンボルです。』
この「白い部分」とは、写真ではくり抜かれたものになっています。
県花はデイゴ。県木はリュウキュウマツ。県鳥はノグチゲラ。県魚はタカサゴ(方言でグルクン)。
県庁所在地は那覇となっており、那覇は琉球王国時代の都、首里の港町として発達。
1879年の琉球処分の際に県庁が那覇におかれたことで政治の中心となり、都が首里から那覇に移ったという経緯があります。
島尻地区と首里を結ぶ橋として建設された真玉橋。
11月28日に現在の真玉橋を紹介しましたが、今日は昔の真玉橋を紹介します。
石をブロックのように積み、アーチ型として風格ある旧真玉橋。後世のために保存活用しようとした住民運動が行われたのも頷けます。
現在の橋も新しくてきれいな印象を受けますが、今までここで紹介してきた城跡の、立派な城壁のような造りです。
写真には写っていませんが、真玉橋の南西側に、1980年に復元されたという「重修真玉橋碑文」があります。碑文には、二度に渡る改修工事やその工事に費やした人夫、工銭費などが漢文で記されています。
真玉橋の地図はこちらから。
真玉橋は、那覇市と豊見城市の境にある国場川にかかる橋のこと。
「まだんばし」と読み、豊見城市の地名にもなっています。
真玉橋が最初に架けられたのは琉球王国時代。那覇市と本島南部を結ぶ道の一部として建設されたようです。ちなみに木造でした。
それから同じ琉球王国時代にアーチ状の石造りとなり、1945年沖縄戦中、退却時に日本軍によって破壊されます。
戦後1963年には琉球政府によってコンクリート橋が架けられましたが、2002年に再びアーチ橋として架橋されました。
ウワサですが、2002年の工事の際、工事関係者の人たちが奇怪な病やケガに襲われたため、旧アーチ橋の遺構を残すことになった、と言われています。
あくまでウワサです・・・。実際は、旧アーチ橋の保存活用を図ろうと住民運動があったために残したようです。
真玉橋の地図はこちらから。
旧海軍司令部壕のビジターセンターと同じ敷地内に、プレイゾーンというエリアがあります。
あまり聞かない言葉ですが、その名の通り、写真を見てもわかるように、「公園」です。
地元人には「海軍壕公園」で大体通じます。
色鮮やかで、かなり長いローラー滑り台が子供たちの遊びの要。
下を通る道路は、豊見城市と那覇市を結ぶ道。
その向こうに広がるのは豊見城市内の住宅地です。
夜になると、街灯はあるもののかなり暗いので、足元を見ることができるくらい。
それゆえ、夜景を楽しむこともできます。ただし、一人歩きはかなり怖いです。何しろ戦跡なので。
海軍司令部壕は、沖縄戦において大日本帝国海軍の司令部として使用された防空壕のこと。
豊見城市と那覇市の境界にあり、壕は一部公開、周辺は公園として整備されています。
写真は公園内のビジターセンター。
戦時中の写真、遺品などが展示されており、無料で誰でも見ることができます。
また、壕への入り口は、ここの地下から。
沖縄には多くの防空壕が存在しますが、ここの海軍司令部壕は最高軍事機密のため、民間人は近づくことも許されなかったそうです。
壕内は長さ約300m。司令官室、作戦室、発電室などが配置されていたそうです。
8:30~17:00までの年中無休。大人420円。小人210円。団体割引あります。
「四つ竹」とは、正確には楽器のことですが、四つ竹を持った踊りのことを指したりもするようです。
両手に2枚ずつ竹の木片を持つので四つ竹。カスタネットのように音を出して踊ります。
糸満市の文化祭で、四つ竹踊りをみることができました。
色鮮やかな琉球衣装に身を包んで、花笠をかぶり、音を鳴らし、
稽古で揃えられた動きで踊る様は圧巻です。
糸満市文化祭は明日まで糸満市西崎総合体育館で催されています。
四つ竹踊りも再びやるようなので、ぜひ見に行っていただきたいです。
舞台部門は午後5時~午後7時半。展示部門は午前10時~午後7時半までです。
もちろん、舞台部門では琉舞の他にも日舞、民謡、器楽合奏などもあるので楽しめると思います。
今日26日日曜日は首里城祭の3日め。国際通りにて「琉球王朝絵巻行列」が催されました。
琉球王朝時代の衣装を着た人たちが行列をなし、国際通りに訪れていた見物客の注目を浴びていました。
写真は国王。次いで王妃、冊封使行列、若衆踊り隊、四つ竹隊と列を作り、どら、笛の音を鳴らしながらゆっくりと歩きます。
この絵巻行列は首里城祭のメインイベントとなっているらしく、毎年行われています。
国王・王妃役は一般応募から選ばれた男女。
祭りのメイン会場は首里城公園となっています。入館料が必要になりますが、この絵巻行列では無料で見物できるので、身近に琉球文化を堪能することができます。
来年は皆さんが、厳かかつ華やかさの主役になることも可能なのです。