三重城で十六日祭2011
毎年1月16日になると、「十六日祭(ジュールクニチ)」といい、沖縄ではご先祖様とあの世の正月を祝います。
重箱にお供え物を詰めて、お菓子、餅を供えます。
この「十六日祭」に、八重山、宮古島など離島出身者、またはそこにお墓がある人は、三重城から故郷の島のお墓に向かって、ご先祖様に対しウートートー(御願)をします。
ご先祖様を忘れず敬い大事にする沖縄独特の行事。沖縄で作られたカレンダーにはちゃんと「ジュウルクニチ」と記されています。
写真は三重城入り口。
毎年1月16日になると、「十六日祭(ジュールクニチ)」といい、沖縄ではご先祖様とあの世の正月を祝います。
重箱にお供え物を詰めて、お菓子、餅を供えます。
この「十六日祭」に、八重山、宮古島など離島出身者、またはそこにお墓がある人は、三重城から故郷の島のお墓に向かって、ご先祖様に対しウートートー(御願)をします。
ご先祖様を忘れず敬い大事にする沖縄独特の行事。沖縄で作られたカレンダーにはちゃんと「ジュウルクニチ」と記されています。
写真は三重城入り口。
普天間基地は普天間飛行場が占める土地のうち、およそ9/10は私有地であるそうです。
私有地に勝手に基地を作られ、立ち入り禁止を余儀なくされた地主たちは、それでもフェンスを乗り越え、自分たちの畑で農耕を続けています。
この事実はアメリカ軍も黙認しているそうです。
本来ならば自分たちの畑の周りに咲く桜も、自由に見ることができるはずなのに、フェンスが邪魔をしている現状です。
旧正月を祝う風習が残る沖縄県の各地では、新年を祝う伝統行事が行われました。
特に「海人の街 糸満」では根強く残っていて、漁港では今年1年の豊漁と航海安全を祈願し、漁船に色とりどりの大漁旗が掲げられます。
元々大漁旗は、帰港時に漁獲高が多かったことを知らせる目的で使われたそうです。
それが新しく漁船をあつらえた際に親しい人から贈られたり、船の新調以外でも祝いの品として贈られたり、正月の初乗りなど様々な用途で利用されるようになりました。
いずれもおめでたい意味で掲げます。
糸満市内では、住宅前にも「しめ縄」や「謹賀新年」のポスターなど貼られている光景がありました。
「シラサ岬」は古宇利島のチグヌ浜の近くにある岩場周辺のことをこう呼ぶらしいです。
一般的に見る岬とは違い、灯台などもありません。
ここは、沖縄版「アダムとイヴ」発祥の地らしいです。
「古宇利」は「こうり」と読みますが、「クイ」からきているそうで、「恋」と同じ発音であったり、人類発祥の地の言い伝えなどから、「恋の島」と呼ばれるようにもなりました。
古宇利島の外周道路の脇にあります。
海に降りる階段もありますが、潮の満ち干きなどで足場がなくなる時もあるので注意しましょう。
円筒状空洞地形群は、古宇利島の最北端にある北海岸に連続して発達している更新世琉球石灰岩のことです。
この地形は河川底の岩盤にできる円盤状の穴(ポットホール)に赤土が溜まり、溶食によって空洞が拡大していったものだそうです。
写真では、小さいですが、中央の岩が丸く削られて空洞になっているのが確認できます。
場所は渡海浜(とけいはま)という、古宇利島のスポットです。
ここには、これらの地形や堆積物が連続して発達していて、観光名所にもなっています。
ムーチーとは、餅粉に水を加えてこね、サンニン(月桃)の葉に包んで蒸したお餅です。
毎年旧暦の12月8日に行われ、最近では紅イモ、黒糖などの様々な味があります。
元々は、子供の健康を願って食されています。
赤ちゃんが生まれた家庭では「初ムーチー」を親戚や近所などに配る風習があります。
この時期になると、市場やスーパーではムーチーが大量に積まれて売られます。
ちなみに「ムーチーの日」は「ムーチービーサ」といって、暖かい沖縄でもこの日だけは寒くなるという言い伝えがあります。
「安波節」は、琉球古典を学ぶ人ならこの曲から入ることが多いといわれている節。
安波節の発祥の地・安波集落は本島北部の国頭村にあり、前面に海、三方を山に囲まれ清らかな2つ川の流れる、山紫水明の集落でもあり、安波川のほとりには安波節の歌碑が建っています。
写真にある碑は2番の歌が掘られたもので、
「安波ぬまはんたや 肝しがり所 宇久ぬ松下や になし所」と歌います。
「安波(地名)の崖は、心を通わすところで(そこで気が合えば)宇久(地名)の松の下は、愛し合うところである」という意味。
かつての城跡だと伝えられていて、海岸から50mほど離れています。
今帰仁から軍勢が伊平屋に攻めてきたとき、ここに大きな石垣を積んで敵の攻撃を防いだという伝説が残っています。
干潮になると岩まで歩いて渡れるそうです。
登ったりすることもできますが、運動靴は必須。
未だに周辺には壺の陶器が残っているといわれています。
伊平屋島にある「クマヤ洞窟」は、江戸時代の学者、藤井貞幹が「天の岩戸は伊平屋島にある」と発表して以来、次々と学者や研究者が訪れ、昭和33年に史跡文化財に指定されました。
全国に数ある「天の岩戸」伝説最南端の地。
クマヤの呼び名の由来は、天の岩戸伝説で大昔に神々の争いをみかねた天照大神が、洞穴にこもってしまうエピソードからだそうです。
神が穴に籠っていた=籠穴(クマヤ)。
地質学的に言えば、この洞窟は今から2億8000万年前にできた珪岩質(チャート)という固い岩が、波や風の力によって浸食されて空洞になったものだとか。
沖縄に多数ある石灰岩質の洞窟とは異なるものです。
薄暗い洞窟内は涼しく、神秘的です。
「泡瀬ビジュル」は、義正という在番役が、退職後に海面に浮かぶ霊石を見つけて持ち帰り、霊験あらかたなるビジュル神として祀りました。
島の西側礎のほとりに石祠を建てて安置し、信心したのがビジュル神信仰の始まりと言い伝えられています。
旧暦の9月9日には、ビジュル参りの例祭があり、無病息災、子安、子授けなどの祈願に参拝者が絶えないそうです。
「ビジュル」というのは、沖縄では信仰の対象とされる霊石のことで、多くは人形(ひとがた)をした自然石です。
「ビジュル」のほかに、古語としてのビンジルはじめ、ビンジリ、ビジリ、ビンジュル、ビジュンとも呼称されています。