沖縄赤瓦
原材料はクチャ(海洋性堆積物)で、泥岩のこと。約1000度の高温で焼きあげます。
断熱性に優れ、沖縄の風土と景観に適した造りになっています。
最近では一軒家でも赤瓦屋根は少ないですが、沖縄料理店、公園の休憩所、バス停など、沖縄と赤瓦は密接な関係があります。
赤瓦は18世紀頃から普及し、首里城正殿、神社や公の建物の屋根などに使用されてきました。
2009年には、地域の特産品を商標登録する地域団体商標制度で県赤瓦事業協同組合が出願した「沖縄赤瓦」が、特許庁に認定されました。
原材料はクチャ(海洋性堆積物)で、泥岩のこと。約1000度の高温で焼きあげます。
断熱性に優れ、沖縄の風土と景観に適した造りになっています。
最近では一軒家でも赤瓦屋根は少ないですが、沖縄料理店、公園の休憩所、バス停など、沖縄と赤瓦は密接な関係があります。
赤瓦は18世紀頃から普及し、首里城正殿、神社や公の建物の屋根などに使用されてきました。
2009年には、地域の特産品を商標登録する地域団体商標制度で県赤瓦事業協同組合が出願した「沖縄赤瓦」が、特許庁に認定されました。
斎場御嶽(せーふぁうたき)は15世紀~16世紀の琉球王国時代に造られたものと考えられています。
「せーふぁ」は「最高位」を意味し、「斎場御嶽」は「最高の御嶽」ほどの意味。
王国時代には国家の最高神職である聞得大君が管理し、聞得大君の就任儀式「御新下り(おあらおり)」が行われました。
近年は南城市が整備・管理をして観光誘致に力を入れています。
それまでは、写真の左側の案内碑しかありませんでした。
右側の石碑が新しく建立されたものです。
ちなみに、琉球時代の御嶽は全て男子禁制だったそうで、斎場御嶽も例外ではありませんでした。
今回は「サングーイ」の横に位置する「鍾乳石」。
写真の中央部分、岩から垂れた二本の鍾乳石の真下には、鍾乳石から滴る水を受けるための壷(チイタイイシ)が2つ置かれています。
鍾乳石からの水は「シキヨダユルアマガヌビー」「アマダユルアシカヌビー」と呼ばれ、天からの霊水として扱われていました。
それには再生の効果があると信じられていました。
この左手に「サングーイ」があります。
平成12年12月に世界遺産に登録されました。
「御殿(うたき)」とは、神が降臨し鎮座する聖域のことを指します。
写真は「三庫裏(サングーイ)」といって、「斎場御殿」の中でメインスポットとなっています。
人が小さく見えているので、その岩の圧倒的な大きさが分かります。
これは洞門は約1万5千年前に起こった地震の断層のズレから出来たと言われていて、その奥に久高島が見える聖地が存在します。
「慶座絶壁(ギーザバンタ)」は八重瀬町具志頭玻名城にあり、サザンリンクスゴルフクラブの脇の道をたどっていくとたどり着けます。
漢字の通り断崖絶壁で、地元の人も滅多に来ないので穴場的存在で、太平洋を一望できます。
きれいに整備された階段で下へ降りることもできますが、途中から岩場が多く危険なのでサンダルなど滑りやすい履き物では気をつけましょう。
ここは沖縄戦当時、追いつめられた人々が崖を降りたり、沖の米軍からの攻撃で挟み撃ちにあったり、悲惨な場所でもありました。
沖縄戦跡公園に指定されているようです。
「知念大川(うっかー)」は、知念城跡の西側入り口にある川です。
水源地は「ウファカル」と呼ばれる泉で、琉球の創世神・アマミキヨが天から稲を持ち帰り、この地に初めて栽培したという伝説が残されています。
玉城の「受水・走水(うきんじゅ・はいんじゅ)」とともに稲作発祥地とされています。
東御廻り(アガリウマーイ)の拝所の一つとなっていて沖縄各地から絶えず参拝者が訪れています。
※東御廻り(アガリウマーイ)・・・沖縄民族の祖先といわれる“アマミキヨ族”が渡来して住みついたと伝えられている知念や玉城の霊地をめぐる行事のこと。
集落や村の共同水場で飲料水や生活用の水、農業用水、場所によっては体を洗うことに利用されていました。
「樋川」とは、「湧水」の総称で、代表的なものには「垣花樋川」や「仲村渠樋川」がありますが、南城市知念具志堅にも「具志堅樋川」が存在します。
「具志堅樋川」は昭和4年に住民の手で築造された知念大川を水源とする樋川。
正面に吐水口と洗濯場、ブロックで見えませんが、右側に沐浴場があります。
「受水・走水(うきんじゅ・はいんじゅ)」は、沖縄県本島南部の南城市にあります。
西側の受水(うきんじゅ)の傍らには御穂田(みーふだ)と呼ばれる田、速やかに流れる東側の走水(はいんじゅ)の前方には親田(うぇーだ)と呼ばれる田があります。
琉球稲作発祥伝説の中心となっています。
玉城仲村渠(なかんだかり)区に継承されている田植えの儀式・親田御願(うぇーだぬうがん)は、稲の始まりを神に感謝する行事。
親田御願は、旧正月後の初めての旧午の日に行われます。
市の無形民俗文化財にも指定されています。
「知念城跡」は2008年にも紹介しましたが、写真で分かるように石壁がきれいに修復されています。
駐車場から歩いて坂を下っていくと、この石碑にたどりつきます。
ただ、この門をくぐると、中は城跡というより、石壁の名残りがある広場。
そこを「ミーグスク(新城)」といい、さらに奥に進み、うっそうと植物が茂っているところが「クーグスク(古城)」といいます。
「知念城跡」はこの二つの郭からできています。
保存修理は発掘調査と並行していて、まだまだかかりそうです。
写真をよく見てみて下さい。
門の石壁の色が違うのは、暗い側は元々残っていたもの、明るい側が修復したものです。
「サバニ」とは、沖縄の漁業従事者に古くから使われていた漁船の名称です。
近年ではエンジンの推進方法が主体。
写真で見るように、船体形状は細長く、横揺れに強い性質がありますが、一方で非常に安定性を欠く船でもあり、簡単に転覆します。
また、各地で行われる「ハーリー大会」ではエンジンのない、帆走サバニが利用されているようです。
沖縄サミットの2000年から始まった「サバニ帆漕レース」の他、各地各様のレースがあります。