「東浜きょうりゅう公園」の同じ敷地内に、与那原町芸能顕彰碑が建てられています。
周りをチェーンで囲まれています。
与那原町出身の郷土芸能家4名は以下のとおり。
●宮城嗣長(琉球古典音楽家、1861~1944)
●伊良波尹吉(役者、1886~1951)
●仲泊兼蒲(琉球古典音楽家、1888~1945)
●宮城嗣周(琉球古典音楽家、1914~1990)の4名の写真と略歴が刻まれています。
ここから少し離れた場所ですが、同じ与那原町の東浜マリンタウンに前川朝昭作詞の「兄弟小節(ちょーでーぐゎーぶし)」の歌碑があります。
与那原町 芸能先達顕彰碑の地図はこちら。
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薩摩藩が1069年に琉球王国を侵略してから、宮古・石垣には「人頭税」が施行されていました。
「人頭税」は廃藩置県がしかれた後も「旧慣温存」という政策で計約200年以上続き、農民たちを苦しめました。
そこで福里出身の西里蒲、保良出身の平良真牛、那覇出身の城間盛安、新潟出身の中村十作の4人が先駆者となり、人頭税廃止にこぎつけました。
この顕彰碑は、四氏の顕彰をたたえ、城辺町に建立されました。
(旧の城辺町町役場の前。)
実際に四氏がした運動は、東京へ出向き、各新聞社で宮古の実状を話したり、国会に直接請願したりしたものです。
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6月23日は、沖縄県が制定している記念日「慰霊の日」です。
1945年6月23日、第32軍司令官牛島満をはじめとする司令部が自決した日をもって組織的戦闘が終結したとされています。
1962年から毎年、この日には糸満市の平和祈念公園で、沖縄県が主催する沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれ、沖縄戦犠牲者の遺族やその子孫などが集まり、式典中の正午には黙とうが捧げられます。
式典には毎年、総理大臣や知事も出席します。
「慰霊の日」前後には、戦争体験者などから戦争体験の話を特集したりなど、戦争の悲劇を風化させないようにしています。
戦没者の御霊をなぐさめ、二度と戦争が起こらないように平和を願う一日となります。
写真は糸満市の平和祈念公園。遺族が涙を流しながらお供え物をする光景が毎年見られます。
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沖縄県宮古島市は、本島とは一味違ったイントネーションや方言を使用し、宮古島の人が話せばすぐに宮古島出身と分かるほど。
今日はそんな宮古島市の代表的な方言を紹介します。
宮古空港の到着ロビーに「んみゃーち」と書かれたのぼりがあります。
「んみゃーち」は、宮古島の方言で「いらっしゃい」「ようこそ」という意味。
本島では同じ意味では「めんそーれ」なので、違いがはっきりわかります。
ちなみに八重山地方だと「おーりとーり」と全く違う言葉になります。
宮古島には「ん」から始まる方言がいくつもあるので、しりとりが終わらないといいます。
「ん」から始まる方言は、「んま」=「おばあさん」、「んざんかいが」=「どこ行くの?」など。
よく聞く宮古方言は「ずみ」=「最高」、「だいず」=「とっても」、「たんでぃがーたんでぃ」=「ありがとう」。
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八重瀬町の富盛にある勢理城には、部落を守る石彫大獅子があります。
昔、富盛は火事が相次ぎ、人々が風水師に相談したところ、フィーザン(火山)といわれる八重瀬岳に向かってシーサーを建てることになりました。
が、村人が「神聖としている八重瀬嶽に直接向けられない」と少し方角をずらしていったそうです。
村落獅子タイプのシーサーでは最も古い(1689年)シーサーです。
最も大きい(高さ1.54m、全長約1.40m、幅約50cm、県内でも最大の大きさを誇っています。
沖縄戦をくぐりぬけてきたシーサーで、兵士が獅子に隠れながら銃撃戦をしました。
戦闘での弾痕が、今でもシーサーに残っています。
富盛の石彫大獅子の地図はこちら。
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富盛(ともり)の石彫大獅子 はコメントを受け付けていません
「勢理城」は、八重瀬町字富盛(ともり)に位置しています。
ガジュマルなどの大木や草木が生い茂る広場のような城(ぐすく)です。
住宅地をぬって行きますが、小高い丘になっていて、富盛集落や近くの高校などが遠目に見ることができます。
「勢理城」というよりも、「富盛の大獅子」があることで有名で、看板も「富盛の大獅子」の案内となっています。
勢理城へと続く坂道の起点には、中間之御嶽があります。
その他近くには御獄(うたき)や拝所があります。
勢理城(せりぐすく)の地図はこちら。
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「宮古島市総合博物館」は、宮古島市東仲宗根添にある博物館。
宮古島の自然と歴史風土に関する資料を展示しています。
植物に関する資料や、祭りや伝統芸能など独特の風習を持つ宮古島の文化、歴史などをビデオや人形、ジオラマなどで紹介しています。
入館時間は9:00~16:30 (入館は16:00まで)。
休館日は月曜日ですが、祝日の場合は翌日となります。
大人300円、大学・高校生200円、小・中学生100円。団体割引もあります。
宮古島市総合博物館の地図はこちら。
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沖縄諸島や先島諸島では、昔から魔除けとして家の玄関や家畜小屋に吊るす風習があり、今でも民家などで利用されている「スイジ貝」。
浅い海の珊瑚礁などに生息していて、6本の長い突起が特徴です。
この形が「水」に似ていることから和名「水字貝」の由来にもなっています。
成貝は突起を含めて殻長24cm、幅16cmにも達します。
殻が固くて丈夫なことから、装飾品や貝細工の材料として利用される他、食用にもなるそうです。
名護市と宮古島市では市のシンボルに採用されています。
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宮古島には、古くからの伝統として奇祭「パーントゥ・プナハ」があるのが有名です。
パーントゥは宮古方言で妖怪、プナハは祈願祭という意味です。
国指定重要無形民俗文化財となっていて、毎年催されます。
旧暦9月、全身泥まみれの奇妙な格好をした3匹の「パーントゥ」という神様が集落に現れ、人々、家、車に泥を塗りまくる、奇祭。
泥を塗られたら「無病息災」。
縁起の良い泥ですが、奇抜な姿形から鬼ごっこのように人々は「パーントゥ」から逃げ出します。
宮古島の北はずれの海岸に、異様な形相をした木製の面が流れ着いたことから始まりました。
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パーントゥの面 はコメントを受け付けていません
与那原町の東浜マリンタウンに「兄弟小節(ちょーでーぐゎーぶし)」の歌碑があります。
「いちゃりば兄弟(ちょーでー)、ぬーうち隔ぬあが」という歌詞の意味は「出会えば兄弟、何の隔たりがあろうか」だそうです。
「いちゃりばちょーでー」、ことわざ言葉が沖縄にはあります。
「人と人が一度逢えば、それも何かの縁であり、兄弟のようなものだ」という意味です。
この唄を作った前川朝昭さんが与那原出身ということから、与那原町顕彰碑・歌碑建立事業会が平成17年に建立しました。
毎年3月4日の「サンシンの日」には奉納演奏会が行われます。
兄弟小節 歌碑の地図はこちら。
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