勝連城跡2011
勝連城跡は、1972年5月に国指定史跡となり、2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして、他8つの文化財とともに世界遺産登録が正式に決定されました。
指定面積は131,774.68㎡。
最近ではきれいに整備され、たくさんの人が訪れているようです。
それに伴い、勝連城跡の模型や休憩所、駐車場が完備され、要望があれば案内なども無料で行っているようです。
まだまだ保存修理事業、発掘調査が実施されていて、現在も継続中です。
勝連城跡は、1972年5月に国指定史跡となり、2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして、他8つの文化財とともに世界遺産登録が正式に決定されました。
指定面積は131,774.68㎡。
最近ではきれいに整備され、たくさんの人が訪れているようです。
それに伴い、勝連城跡の模型や休憩所、駐車場が完備され、要望があれば案内なども無料で行っているようです。
まだまだ保存修理事業、発掘調査が実施されていて、現在も継続中です。
恩納ナビーの歌碑は、恩納村万座毛の駐車場付近にも建てられています。
「波の声もとまれ 風の声もとまれ 首里天がなし 美御機拝ま」
「波も風も穏やかになってほしい。はるばる国王が万座毛に立ち寄られるのだから、そのお顔を拝みたいものだ」
国王が北部巡視途中、恩納村に立ち寄った際に万座毛の広場には国王のお顔をひと目見ようと、大勢の人が集まりました。
その時に謳ったものです。
このときの国王尚敬王は、万人が集まり座っている光景を目にして、ここを万座毛と名づけました。
沖縄の書家、謝花雲石氏による書だそうです。
「ハリセンボン」は、沖縄の方言で「アバサー」といい、食用に利用されています。
フグの仲間ですが、毒は持っていません。
沖縄では、「アバサー」を玄関先で魔除けとして吊るす風習があります。
沖縄料理居酒屋などで、吊るしてあるのを見かけます。
写真は、滅多に見かけないのですが、車の後ろに吊られていました。
「アバサー」は釣りあげると、フグと同じように、水や空気を吸いこみ体を大きく膨らませます。
膨らむとトゲが立ち、イガグリのようになるので、吊るす時はその状態で吊るします。
「恩納ナビー」の生誕地は恩納村で有名ですが、その中の恩納区には生誕の碑が建てられています。
毎年11月には女性だけで踊る伝統行事「ウシデーク」が催され、女性たちが五穀豊穣(ほうじょう)や集落安泰などを願って、歌い踊ります。
1928(昭和3)年11月10日に「恩納ナビ歌碑建立式典」を開いたことをきっかけに、毎年この日にウシデークを開催しているようです。
一度中断されたが、1977年に集落が一体となって復活させました。
ナビーは農家出身のため確固とした資料もなく、伝説上の人物とも云われていますが、このように恩納村にはナビに関する話や、ナビの生家跡・マッコーヤー(屋号)を示す石碑がキビ畑の一角にたてられています。
恩納村には、女流歌人「恩納ナビー」が謳った琉歌の碑が各所に建てられています。
その代表作の一つが、「恩納松下の歌碑」。
『恩納松下に
禁止の牌のたちゆすて
戀しのぶまでの 禁止やないさめ』
当時の農村では、夜間野外で男女が歌の掛け合いをする「毛遊び」が盛んに行われていました。
その農村に、突然中国冊封福使一行が北部巡りで恩納番所で一晩泊ることになったため、王府より「風紀の乱れを取り締まる目的」で立て札がたちました。
それを見たナビーの皮肉った歌だそうです。
意味は「恩納番所の松の木の下に、禁止事項の札が立てられたが恋をするなという禁止事項まではあるまい」。
歌碑の隣の松の木は松食い虫にやられてしまったため、現在は二代目の松だそうです。
「琉歌」とは奄美・沖縄・宮古・八重山諸島に伝承される叙情的短詩形歌謡の総称。
恩納村で生まれ育った、農家出身の女流歌人「恩納ナビー」。
彼女の実在を証する記録はなく、生没年は不明ですが、生誕地である恩納村には歌碑も多いようです。
恩納村商工会が毎年琉歌を募り、第20回大賞に選ばれたものが「恩納村博物館」の前に展示されています。
村民に限らず、沖縄県内外、海外からも応募作品が集まるようです。
「琉歌の里」と謳われる恩納村ならではのイベントです。
恩納村にて国道58号線を北向けに走っていると「恩納村博物館」が右手に見えてきます。
左手に海が広がるのでそこに目がいき、見落としてしまいがちな博物館ですが、海と山に囲まれた恩納村の人々の暮らしについて学ぶことができる施設です。
ハーリー船が展示されているロビーは、前面ガラス張りで海を望むことができます。
開館時間は午前9時~午後5時(入館は4時半まで)。
休館日は毎週月曜日、祝日の翌日、年末年始。
入館料:一般100円。
土地と土地の「結」(結節機能)、人と人との「結」(相互扶助)、情報と情報との「結」(情報の受発信)を発揮する「てだこのまち・浦添」の新しい玄関口、それが「浦添市産業振興センター・結の街」です。
浦添の街の情報発信ステーションとして、産業、文化、交流の面で街を活性化する目的で建設されました。
パネル、映像及び模型等を使用し、浦添市内の文化、芸能及び歴史等を紹介したり、浦添の商工業の移り変わり(戦前~戦後~現在)をVTR映像及び展示パネルで紹介したり、多様な技法で浦添市をPRする展示コーナーが中心です。
他にも180名収容可能な大研修室、ビジネス関連の書籍ライブラリー、無料パソコンコーナーなど。
浦添商工会議所もこのビルに入っています。
浦添市の「街づくり」「人づくり」を担っているビジネスモールです。
沖縄の伝統芸能は「組踊」「琉球舞踊」「三線音楽」「沖縄芝居」「民族芸能」に分かれます。
「組踊」は本土復帰の年(昭和42年)に国の重要無形文化財にも指定されましたが、「組踊」を披露する場所がありませんでした。
沖縄伝統芸能の保存振興、後継者の育成、アジアなどの交流事業を目的として、設立されました。
「国立劇場おきなわ」は、他の国立劇場と同様に独立行政法人日本芸術文化振興会の施設です。劇場の管理・運営については、振興会から委託を受けた「財団法人国立劇場おきなわ運営財団」が行っています。
本日以降、以下の公演を予定しています。
●民族芸能公演「沖縄本島民俗芸能祭~恩納村~」
●第25回公演記録鑑賞会 第6回民俗芸能公演「沖縄・宮古・八重山の唄と踊り」
●組踊公演「久志の若按司」
沖縄戦真っ只中の昭和19年8月22日、沖縄からの疎開者を乗せた「対馬丸」は、鹿児島県・悪石島付近で米海軍潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け沈められました。
たくさんの学童を含めた民間人が犠牲になったこの歴史的事件は、当初、救助された人々に「箝口令(かんこうれい)」がしかれ、対馬丸が撃沈された事実を話すことを禁じられたものの、「“学童疎開船”対馬丸の悲劇」として今でも語り継がれています。
平和と命の大切さを子供の目線で伝えていくことを目的に建設されたのが「対馬丸記念館」です。
記念館には、生存者や遺族の証言の記録と、わずかな遺品が一つのパネルにおさめられていますが、解説には読み仮名を振ったり難しい言葉は使わないように注意されています。
来館する子供たちのために、イラストや写真などの工夫もされています。
大人500円、中高生300円、小学生100円。
毎週木曜日と年末年始は休業。