読谷やちむんの里 共同登り窯
沖縄本島中部に位置する読谷村は、やちむん(焼物・陶器)の里で有名です。
伝統工芸品として、読谷村のブランドでもあります。
共同登り窯は、1980年に陶工4名が築き、初の窯出しとなりました。この窯で出来た焼物を読谷山焼と称し、この共同登り窯を中心にやちむんの里が発展していったそうです。
共同登り窯の周辺には、工房やギャラリーがいくつかあり、制作・販売を行っています。
沖縄本島中部に位置する読谷村は、やちむん(焼物・陶器)の里で有名です。
伝統工芸品として、読谷村のブランドでもあります。
共同登り窯は、1980年に陶工4名が築き、初の窯出しとなりました。この窯で出来た焼物を読谷山焼と称し、この共同登り窯を中心にやちむんの里が発展していったそうです。
共同登り窯の周辺には、工房やギャラリーがいくつかあり、制作・販売を行っています。
亜熱帯気候の沖縄は太陽の日差しがとても強く、風通しをよくするために色々思考を重ねて出来上がったブロックです。
「花ブロック」は、風を通すだけでなく、その特徴的な穴から光を取り入れることもでき、ただブロックを積み重ねた壁に比べて開放感があります。
その上、外からの視線も遮るメリットもあり、実用性と景観を兼ね備えた「花ブロック」は、沖縄各地に広がっていきました。
「花ブロック」の穴は、四角、三角、丸の他にも、波型や沖縄の伝統的な織物の模様になっているものまで多種多様です。
公共施設やホテル、企業だけでなく、一般の民家にも使われている「花ブロック」。
どんな種類があるか、探してみるのも面白いかもしれません。
「大和井(やまとがー)」は宮古島市にあります。
宮古島はサンゴ礁(石灰岩)で出来ており、生活用水を確保するためには硬い石灰岩を掘らなければなりません。
現在は地下ダムが出来ていますが、それまでは昔の人々は自然にできた洞穴井戸を利用していました。
1992年12月に国の史跡に指定された「大和井」は、周囲約20メートル、高さ約6メートル。
伝承によると、この井戸は首里王府や薩摩藩から派遣された役人専用の井戸で、造りも頑丈で見張り番もいたとか。
庶民はここから50メートルほど離れたところにある簡素な造りの井戸を利用していたようです。
「八重瀬グスク跡」は、「八重瀬公園」の入り口の駐車場から階段を登っていって、左手に見えてきます。
約600年前頃に築かれたとみられていて、八重瀬の按司の居城であったそうです。
石垣が所々にあって、グスクの名残りが見られるものの、説明板がなければ分かる人は少ないでしょう。
城内には、「火の神」や「拝所」「井泉」が数か所あり、現在でも村人たちの深い信仰の場となっているそうです。
1451年に創建されたと言い伝えられており、歴代琉球王や民衆にも崇められていました。
沖宮の主神である天受久女龍宮王御神(別名・天照大御神)がご鎮座されているという石碑の前がパワースポットのようです。
毎年、読売ジャイアンツがキャンプを行う際に祈祷する場所でもあります。
日
沖縄で形成された空手を県外へ普及させ、東京に「松濤館」道場を開設するに至りました。
「空手に先手なし」とは空手の格言だそうです。
「松濤二十訓」というのがあって、その中の一つだそうです。
他には「空手は礼に始まり礼に終わることを忘るな」など。
国内外に発信する拠点として、「沖縄空手会館」が2017年3月4日に落成しました。
練習や大会開催などできる空手道場はもちろん、空手関連グッズなどを販売するお店、体験コーナーや資料室、そして特別道場として「守禮の館」があります。
新たな沖縄の独自の文化遺産として、空手愛好家のみならず誰でも空手に親しめる施設です。
「意地ぬ出じらぁ、手引き 手ぬ出じらぁ、意地引け。」 と彫られています。
「短気をおこしたら、手を出さないようにし、手 が出ようとしたら、心をしずめよ」と戒めているそうです。
以下は、古くから伝わる白銀堂での民話です。
昔々、糸満村に働き者の漁師が遭難して船と漁具を失い困り果てていたところ、見かねた薩摩の武士がお金を貸したました。
しかし不漁が続いて約束の期限に借金を返す事ができない漁師が命乞いをしたときに言ったことわざで、武士は刀を収め、薩摩の家に帰ったところ自分の妻が見知らぬ男と寝ていました。
男は怒り、刀を振り上げましたが、漁師の言葉を思い出しました。
よくよく見れば妻の母が、女だけの家は不安なので男の格好をしていたとのことで、武士は妻と妻の母を殺さずに済んだのです。
糸満市は昔から海人の街として知られ、航海の安全と豊漁を祈願する、糸満の氏神様が「白銀堂」という拝所に設けられています。
境内には隆起サンゴの巨石があり、住宅地とは思えないほど独特の雰囲気です。
あまり大きくない白銀堂ですが、旧正月には参拝客でにぎわったり、糸満ハーレーで優勝したチームが参拝したり、地元人にとって欠かせない場所です。
ちなみに「シロガネの御イベ」と呼ばれる自然の鍾乳石が、航海の安全と豊漁を司る神様として祀られています。
高台の住宅地にあります。
頂上には、戦前からの遺構として御大典記念山巓毛改修碑、国旗掲揚台及び防空監視哨跡が残っています。
大典記念山巓毛改修碑は、昭和天皇の即位を記念して昭和7年に白銀神社改築期成会によって山巓毛が整備されたされた時の記念碑だそうです。
しかし昭和20年の米軍が上陸すると、攻撃目標になるとして日本軍によって倒されました。
写真で見てもわかるように、台座の右横に倒れた石碑が置かれています。