世持神社は、奥武山公園内にあります。

「よもちじんじゃ」と読みます。

県立武道館の隣にあり、鳥居もしっかり構えられていています。

鳥居をくぐって階段を登ると写真のような広場に出ます。そこの右側に社があります。

奥武山公園には護国神社、沖宮の2つの神社がありますが、3つめの世持神社はほとんど無人状態で、ひっそりとした雰囲気。

琉球王国時代に政治・産業界での功労者、野國總管が祀られているそうです。

野國總管という人は、沖縄史蹟保存会が沖縄を代表する7偉人のうちの1人として、沖縄の歴史上で高い評価を得ている人物です。

ちなみに7偉人は、野國總管の他に「羽地朝秀・具志頭文若・宜湾朝保・儀間真常・程順則・護佐丸」。

世持神社(奥武山公園内)の地図はこちら。

県立奥武山武道館は、那覇市の奥武山公園内にあります。

読みは「おうのやま」公園。

昭和34年に開設された、沖縄初の運動公園で、武道館の他に現在リニューアル中の野球場、テニスコート、弓道場、陸上競技場、水泳プールなど様々なスポーツ愛好者にとって馴染みの深い公園です。

公園の広さは29,8ヘクタール。モノレールの奥武山公園駅と壷川駅に隣接します。

多目的広場やゲートボール場、遊具広場もあるので、老若男女問わず地域の住民の憩いの場となっています。

イベントも多数で、かきぞめ大会、空手大会、舞い初めなど幅広い催しがあります。

現在リニューアル中の野球場は、最近巨人軍キャンプ地に決定されたばかりです。

奥武山・県立武道館の地図はこちら。

波の上宮

12月 16, 2008

沖縄本島南部の那覇市にある波の上宮。波の上ビーチ(現在閉鎖中)の隣りに位置しています。

海岸沿いの崖の上にあるので、波の上橋からも見ることができます。

波上宮は、「海の彼方の理想郷から神が訪れ、人々に幸福をもたらす」という沖縄独特のニライカナイ信仰に始まりました。

その後、神のお告げにより、王府が熊野三神を祀り、豊漁・豊穣などの信仰を集め厚い尊崇を受けてきたそうです。

現在地元人には「なんみん」と呼ばれ、観光客にも親しまれています。

お正月には初詣客で賑わいます。

波の上宮の地図はこちら。

沖縄県の県章

12月 15, 2008

沖縄県の県章は写真の通り。

県庁のホームページによると、『外円は

海洋を表し、白い部分はローマ字の「O」で沖縄を表現するとともに人の和を強調

しています。また、内円は動的に、そして

グローバルに伸びゆく県の発展性を象徴し、いわば「海洋」「平和」「発展」のシンボルです。』

この「白い部分」とは、写真ではくり抜かれたものになっています。

県花はデイゴ。県木はリュウキュウマツ。県鳥はノグチゲラ。県魚はタカサゴ(方言でグルクン)。

県庁所在地は那覇となっており、那覇は琉球王国時代の都、首里の港町として発達。

1879年の琉球処分の際に県庁が那覇におかれたことで政治の中心となり、都が首里から那覇に移ったという経緯があります。

泊いゆまち

12月 11, 2008

「泊いゆまち」とは、水産物流通総合センターのことで、那覇市の泊漁港内にあります。

その日水揚げされたばかりの新鮮な魚が、泊いゆまち内にある複数の鮮魚店によって販売されています。

中に入ると、そこの光景はまさに市場。まるで平和通りの公設市場にいるようです。

沖縄独特のカラフルな魚や、びっくりするような大きな魚まで見ることができます。

ガラス張りの解体処理室もあるので、時間が合えばマグロなどの解体を見学できるようです。

朝の6時~夕方まで年中無休。駐車場も完備。

時にはスーパーではなく、朝早く起きて、「泊いゆまち」で新鮮な魚を購入してみてはいかがでしょうか。

泊いゆまちの地図はこちら。

トックリキワタ

12月 9, 2008

沖縄ではこの時期、トックリキワタが花を咲かせ、道行く

人々の目を楽しませています。

ピンク色に咲いている花は遠めに見ると、一瞬桜かと

思うほど鮮やか。

樹高は10m~20mほどになり、幹がトックリのようになっていて、棘があります。

果実の中は綿のようになっていて、クッションやぬいぐるみ

などの詰め物に利用されるようです。

原産地はブラジルからアルゼンチンにかけての地域。

別名「酔いどれの木」というそうですが、これはトックリのような幹が酔っ払いの腹に似ていることから由来しているようです。

ちなみに漢字で書くと「徳利木綿」だそうです。

サトウキビの穂

12月 2, 2008

サトウキビは、沖縄の特産品の中で最も有名です。

沖縄方言で「ウージ」といい、砂糖の原料になるもの。サトウキビから黒糖が作られます。

そのサトウキビが、今の時期、先端から穂を出しています。

一見ススキと見間違うような穂です。今の時期に穂が出るサトウキビは大体春に植えたもの。

もう少しすると、キビ狩りで忙しくなるはずです。

サトウキビを絞った汁から砂糖を取除いた液体はそのまま捨てず、、これを発酵させてエチルアルコールを取り出し、自動車燃料の一部として使う研究が日本国内でも行なわれています。

原油高による需要が急増中で、サトウキビはこれまで以上に価値のあるものになるかもしれません。

旧真玉橋

12月 1, 2008

島尻地区と首里を結ぶ橋として建設された真玉橋。

11月28日に現在の真玉橋を紹介しましたが、今日は昔の真玉橋を紹介します。

石をブロックのように積み、アーチ型として風格ある旧真玉橋。後世のために保存活用しようとした住民運動が行われたのも頷けます。

現在の橋も新しくてきれいな印象を受けますが、今までここで紹介してきた城跡の、立派な城壁のような造りです。

写真には写っていませんが、真玉橋の南西側に、1980年に復元されたという「重修真玉橋碑文」があります。碑文には、二度に渡る改修工事やその工事に費やした人夫、工銭費などが漢文で記されています。

真玉橋の地図はこちらから。

真玉橋は、那覇市と豊見城市の境にある国場川にかかる橋のこと。

「まだんばし」と読み、豊見城市の地名にもなっています。

真玉橋が最初に架けられたのは琉球王国時代。那覇市と本島南部を結ぶ道の一部として建設されたようです。ちなみに木造でした。

それから同じ琉球王国時代にアーチ状の石造りとなり、1945年沖縄戦中、退却時に日本軍によって破壊されます。

戦後1963年には琉球政府によってコンクリート橋が架けられましたが、2002年に再びアーチ橋として架橋されました。

ウワサですが、2002年の工事の際、工事関係者の人たちが奇怪な病やケガに襲われたため、旧アーチ橋の遺構を残すことになった、と言われています。

あくまでウワサです・・・。実際は、旧アーチ橋の保存活用を図ろうと住民運動があったために残したようです。

真玉橋の地図はこちらから。

シーサーベンチ

11月 27, 2008

皆さんご存知のシーサーが、ベンチとして海軍壕公園の休憩所にありました。

シーサーは元々、守り神・魔除けとしての役目があります。

現在は、お土産用にカラフルなシーサー、

インテリア用にお茶目なシーサーもよく見かけることができ、街中においてもこういう形で

お目にかかれます。

もはや守り神・魔除けの意味だけでなく、インテリアなど目を楽しませてくれます。

こういうベンチを見ると、普通の簡易椅子ではなく、シーサーベンチに座りたくなりますね。