大石公園

11月 13, 2011

「大石公園」は、那覇市の「識名園」の近くにある公園です。

高台にあり、那覇市内を眺望することができる気持ちの良い公園です。

駐車場も完備されています。20台収容可。

アスレチック遊具、ブランコ、滑り台など子供が飽きなさそうな遊具もあります。

遊歩道ではジョギングしたり散歩したりでき、所々に休憩所もあるので、ちょっとした運動もできそうです。

他にもゲートボール場、テニスコート、グラウンドもあり、大人同士で汗をかくのにももってこいです。

大石公園の地図はこちら。

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琉球漫葉集

11月 10, 2011

「琉球漫葉集」は、沖縄の方言でよく使われているセリフを「万葉集」にちなんで作成されたものです。

沖縄の方言は離島などで大きく異なることは「宮古方言」で説明しましたが、この「琉球漫葉集」は主に首里地区の方言で作成されているそうです。

とあるそば屋さんの壁に貼られていました。

レジ横でも販売しているそうです。390円。

少し紹介すると「カナサン」=「愛おしい」、「ニーブイカーブイ」=「眠くてウトウト」、「マーカイガ?」=「どこに行くの?」など。

「アガー」=「痛い」など有名な方言から難しい発音の方言もあり、面白いです。

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宮古方言

11月 8, 2011

沖縄には沖縄方言がありますが、宮古島や石垣島などの離島独自の方言も存在します。

同じ沖縄県内でも、全く違う発音となっているので、通じない場合が多いです。

今回は宮古方言の紹介。

代表的なのが「いらっしゃい」。

沖縄本島では「めんそうれ」ですが宮古方言では「んみゃーち」。

飲酒運転防止の看板に、宮古方言が利用されていました。

「だいずさいが100万円ぱらーでぃな」とは「大変だ。100万円払う気か」という意味です。

看板の横に立っているのは、宮古の人なら知らない者はいないという「宮古島まもる君」です。

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ウシヌジガマ

11月 5, 2011

「ウシヌジガマ」は、勝連城跡の二の曲輪の北西側にある洞窟です。

「ウシヌジ」の意味は敵に攻められて危険なときに身を隠してやり過ごす場所ということだそうです。

ウシヌジガマの洞窟内には火の神(ヒヌカン)がお祀りされています。

拝所としても利用されていました。

この「ウジヌシガマ」の洞穴と、一の曲輪の中央部にある「玉ノミウヂ御嶽」の洞穴は繋がっているらしいです。

戦時中は防空壕としても利用されていたようです。

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ソテツの種子

10月 27, 2011

「ソテツ」の種子がつく季節になりました。

種子は11月~12月に朱赤色に熟します(写真参考)。

大きさは100円玉ほど。

見た目は果実のようですが、「ソテツ」は裸子植物なので厳密には種子となります。

ソテツは、日当たりも風通しもいいところを好みます。

日陰でも明るい場所であれば問題はありません。

ただ、冬は沖縄などの暖かい地方では、外でも越冬することができますが、寒い地方では、越冬できません。

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肝高の御嶽

10月 25, 2011

「勝連城跡」の三の曲輪に「肝高の御嶽」があります。

沖縄の読みで「ちむたかぬうたき」と読みます。

「肝高(きむたか)」とは、「心豊か」「気高い」「品位ある」という意味をあらわす勝連および勝連城の美称として沖縄最古の歌謡集「おもろさうし」に登場する古語です。

「勝連城跡」の最後の城主・阿麻和利(あまわり)は、農業だけでなく中国や朝鮮などとの貿易によってこの地を反映させたことから「肝高の阿麻和利」と呼ばれることになりました。

「御嶽(うたき)」は拝所と呼ばれ、沖縄各地にあります。

「肝高の御嶽」は、城が滅んでからは祭祀所として使われたそうです。

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「二の曲輪」に登ってきたらまず最初に、規則的に並べられた磁石が目につきます。

これは西14.5m、南北17m規模の舎殿跡で、覆土によって遺構を保存指定しているそうです。

当時の勝連城跡で一番大きな建物で、按司の館、つまり正殿にあたる建物と思われます。

西側には抜け道の伝説がある「ウシヌジガマ」と呼ばれる洞穴があります。

写真は「一の曲輪」から見た「二の曲輪」です。

奥に人影が見えるので、建物の大きさもわかると思います。

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勝連城跡の三の曲輪は、儀式など催しをする広場であったと考えられています。

中国や日本製の陶磁器が発掘されています。

すり鉢状遺構が2つあり、粘土も使われていることから水を貯めて置いたものかと言われています。

勝連城跡は、一番高い平場から階段状に「一の曲輪、二の曲輪、三の曲輪・・・」と低くなっていき、三の曲輪には色々な遺構が残っています。

三の曲輪には、他に「肝高の御嶽」が残っています。

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勝連城跡は、一番高い平場から階段状に「一の曲輪、二の曲輪、三の曲輪・・・」と低くなっていきます。

写真は一の曲輪。

瓦葺きの掘っ立て柱建物が確認され、唐草模様の石材が発見されたことから、城門はアーチ式の門があったことがわかっています。

曲輪の中央にはタマノミウジと呼ばれる御嶽があります。

ここからは勝連半島だけでなく、伊計島、宮城島などパノラマ景色を眺望することができます。

写真撮影をする人が多くいますが、塀は決して高い方ではないので、あまり端の方に寄らないよう、注意が必要です。

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今年から「那覇まつり」の名を変更して「那覇大綱挽きまつり」となりました。

毎年10月の3連休に催され、ギネス認定を受けた世界一の大綱挽が、国道58号線久茂地交差点を中心に盛大に行われることは有名です。

初日の今日は、那覇市の中心部の国際通りで、各種サークル・地域団体・伝統芸能保存会による「市民演芸・民俗伝統芸能パレード」が催され、およそ50団体が華麗な演舞を繰り広げます。

3日間を通して、奥武山公園では「RBC市民フェスティバル」が行われ、打ち上げ花火をはじめ、ステージライブや例年恒例となったカラオケグランプリなど、様々なイベントを開催する予定。

「那覇大綱挽きまつり」は、琉球王朝時代からの伝統を引き継ぐまつりで、交易都市那覇を象徴するものでした。

昭和時代に一時期途絶えますが、那覇市の市制50周年を機会に再び催されています。

綱を挽き、その後の綱は縁起のいいものとされていて、ほとんどの参加者は綱を持ち帰ります。

このまつりを見に来るために、県外、国外から多くの観光客が来沖します。

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