沖縄本島の国頭郡恩納村の道の駅は「おんなの駅」。

国道58号線から見える海を望みながら、縦長の恩納村を北に進んでいくと、仲泊交差点の近くにあります。

様々なテナントが入っており、特産の野菜、お土産コーナー、水産物を直売するなどどのお店も活気づいています。

他にはない食べ物もあり、「アイスマウンテン」、「もずく肉まん」など、特に「てびちから揚げ」はインパクト大です。

おなじみの「ブルーシール」や「サーターアンダギー」「沖縄そば」もあります。

沖縄本島のちょうど真ん中くらいの位置にあるので、観光後のひと休みにも利用でき、また、「おんなの駅」を目的地としてもいいかもしれません。

営業時間は10時~19時。

道の駅・おんなの駅の地図はこちら。

by | Categories: 沖縄で遊ぶ, 食べ物・飲み物・特産物 | 道の駅・おんなの駅 はコメントを受け付けていません

「タイワンレンギョウ」は、南米原産の低木で、デュランタとも言われます。

高さは約2mほどで、高くても3m以下。

公園、庭園、生垣などどこでもよく見ることができます。

日本には明治中頃に渡来し、葉に白斑のフイリタイワンレンギョウ、葉全体が黄緑色のキバタイワンレンギョウ、白花等様々な園芸品種があります。

「タイワンレンギョウ」の花は紫色、白、青など様々で房状に咲きます。

開花時期は5月~10月。

強い光を好むので、沖縄の気候に合っているかもしれません。

生育の旺盛な植物なので、ときどき草姿を整える剪定をします。

by | Categories: 沖縄の動植物 | タイワンレンギョウ はコメントを受け付けていません

「海洋博公園」の中にある「熱帯・亜熱帯都市緑化植物園」は、南ゲートから入ったところにあります。

駐車場に車を停めて、緑いっぱいの園内を自由に散策することができます。

約6.8haの面積に、亜熱帯地域の都市緑化に有望な400を越える種の植物を集め、各々植物の特性に応じた植栽展示されています。

日本で唯一の熱帯・亜熱帯都市緑化植物園だそうです。

高木、低木、ヤシ、つる性などの種類に分けられた見本区は、分かりやすいです。

ガイドによって園内の植物や施設を案内してくれる「植物園ガイド」や植物を使った「クラフト作り体験」など体験によって学べる植物園。

その他、植物管理センターがあり、その中には図書室や無菌室、相談コーナーなどがあります。

営業時間は8時30分~19時(10~2月は~17時30分)。

休日は12月第1水曜とその翌日。

詳しくは海洋博公園~熱帯・亜熱帯都市緑化植物園~のHPへ。

海洋博公園~熱帯・亜熱帯都市緑化植物園~の地図はこちら。

by | Categories: 沖縄で遊ぶ | 海洋博公園~熱帯・亜熱帯都市緑化植物園~ はコメントを受け付けていません

オオバアカテツ

5月 6, 2014

「オオバアカテツ」は、アカテツ科の常緑高木で街路や公園などに植栽されています。

「アカテツ」より葉が大きいことから「オオバアカテツ」という名がついたそうです。

原産地は台湾で、昭和50年頃に導入されたとのこと。

「フクギ」のように真っ直ぐに立つ姿形で、街路樹などとして使い勝手が良いのだそうです。

しかし過去には「オオバアカテツ」の花が咲いたことで臭気が出て、周辺住民を悩ませたことがありました。

那覇市では2001年以降、「オオバアカテツ」を街路樹に植栽することはなくなったようです。

果実は食べられるようですが、可食部が少ないです。

たまにコウモリなどが食するようです。

by | Categories: 沖縄の動植物 | オオバアカテツ はコメントを受け付けていません

台湾遭害者之墓

4月 30, 2014

1871年、宮古島住民43人を含む54人の県民が乗った宮古島の年貢運搬船が、那覇港から出発後に遭難し、台湾に漂着。

乗務員66人が山間部の牡丹郷に迷い込み、台湾の先住民に54人が殺害されるという事件が起きました。

那覇市の護国寺の入り口に「台湾遭害者の墓」はあります。

この墓には44人の遺骨が納骨されているそうです。

政府は、この琉球漂流民殺害事件に対して、清朝に厳重に抗議しましたが1873年には、台湾に漂着した備中国(現在の岡山県)柏島村の船の乗組員4名が略奪を受ける事件が発生したため、台湾への出兵を決めたそうです。

そのため日本の台湾侵攻のきっかけにもなった墓といわれています。

台湾遭害者之墓の地図はこちら。

by | Categories: 沖縄の歴史・文化 | 台湾遭害者之墓 はコメントを受け付けていません

三竹寿

4月 27, 2014

「三竹寿」(さんちくじゅ)とは、那覇市古島にある、自家製つけ麺屋さんのことです。

季節やその日の天気、湿度に合わせて作られた麺が自慢で、いつ行ってもたくさんのお客さんがいます。

東京の超有名店である六厘舎で修行した店主が開店したお店だということも有名です。

「つけ麺」は並盛から大盛まで選べて、温かい麺の「あつもり」も並盛から大盛まで選べるメニュー。

ランチタイムにはライスがおかわり無料。

トッピングも豊富です。

三竹寿の地図はこちら。

by | Categories: 食べ物・飲み物・特産物 | 三竹寿 はコメントを受け付けていません

あたらかシーサー

4月 23, 2014

宮古空港のターミナルビル内にある、「あたらかシーサー」。

東京在住の造形美術家・牛山リコさんが2年以上の期間をかけて製作しました。

宮古島で採れた巨大なシャコ貝や立派なホラ貝、タカラ貝、スイジ貝、クモ貝、サザエ等々が利用されています。

他にも赤瓦やガラス玉などが使われていますが、これらの材料はたくさんの市民から無償で提供されたものだそうです。

「あたらか」とは、宮古方言で「大切な」「もったいない」という意味だそうです。

高さは本体が約1.5メートル、台座を含めると約2.5メートルに達するほど大きいので探す間もなく目立つ存在のシーサーです。

by | Categories: 色々なシーサー, 離島 | あたらかシーサー はコメントを受け付けていません

戦没新聞人の碑

4月 19, 2014

「護国寺」の裏手にある公園内に、「戦没新聞人の碑」という碑があります。

その名の通り、沖縄戦で命を落とした新聞記者の碑です。

「1945年春から初夏にかけて沖縄は戦火に包まれた。砲煙弾雨の下で新聞人たちは2カ月にわたり新聞の発行を続けた。これは新聞史上例のないことである。その任務を果たして戦死した14人の霊はここに眠っている」と説明されています。

当時の沖縄新報、朝日新聞、毎日新聞の皆様のお名前が並べられています。

発行は45年3月下旬から5月22日。

新聞といってもタブロイド判2ページですが、毎日兵隊や警察官、男子師範生徒らによって戦火をくぐって配達されたそうです。

戦没新聞人の碑の地図はこちら。

by | Categories: 沖縄の歴史・文化, 沖縄の風景 | 戦没新聞人の碑 はコメントを受け付けていません

対馬丸犠牲者をまつった「小桜の塔」の隣に、「ふんばるガジュマル」というガジュマルがあります。

場所は那覇市にある護国寺の裏手、旭ヶ丘公園と呼ばれているところです。

つしま丸合唱団の団員からの応募でつけられたという「ふんばるガジュマル」。

不安定な場所に、ガジュマルが何本も地上に下ろす気根などの成長した姿が、対馬丸沈没で生き残った数少ない子どもたちの生命力を重ねたそうです。

ふんばるガジュマルの地図はこちら。

by | Categories: 沖縄の動植物, 沖縄の風景 | ふんばるガジュマル はコメントを受け付けていません

仲地紀仁顕彰の碑

3月 31, 2014

那覇市護国寺内にある「ベッテルハイム博士居住之跡」碑の隣に、「仲地紀仁顕彰の碑」が建立されています。

仲地紀仁は、医学者の長男として生まれ、26歳の時には内科、眼科を学び、薩摩で外科を学ぶなど、琉球王朝から表彰されるほどの医術を身につけました。

ベッテルハイム博士は、仲地紀仁の腕を見込み、牛痘種痘(予防接種の一種)を伝授しました。

当時、薩摩の政府から西洋人との交流を禁じられていたため、仲地紀仁は波の上の洞窟の中で教えを受けたそうです。

仲地紀仁顕彰の碑の地図はこちら。

by | Categories: 沖縄の歴史・文化 | 仲地紀仁顕彰の碑 はコメントを受け付けていません