久米村発祥の地 in 松山公園
6月 14, 2016
はるか昔、中国の福建から沖縄に移住してきた人々がいました。移住者たちは、「久米三十六姓」と呼ばれています。
当時の琉球において、先端文明をもった移住者である「久米三十六姓」の政治的・経済的な地位は極めて高く、その末裔は今もなお、沖縄で大きな影響力を持っています。
彼らの住む「久米村」は当初城壁で覆われ、対外貿易の拠点・要塞となり、1609年に薩摩藩が琉球に侵攻した際には強く抵抗したそうです。
琉球政府の高官を務めた「久米三十六姓」の子孫は数多く、鄭迥氏や蔡温氏はいずれも、三司官にまで出世しました。那覇市牧志には今でも、「蔡温橋」という名前の橋が残っています。