沖縄県立沖縄病院跡 in 松山公園
5月 29, 2016
「県病院」「県立病院」と呼ばれ、当時は県内唯一の総合病院だった「沖縄県立沖縄病院」。
最初は西村(現在の那覇市西)に出張所として医療をしていました。
1878年には医局を置き、1885年には下の天妃宮に移転して初めて病室を設け、入院患者を収容。
1901年に、写真の石碑が置かれている場所、那覇市松山に移転したそうです。
1944年10月10日の空襲で建物が焼失し、1945年には自然閉院。
現在は、公園と那覇商業高等学校の敷地になっているようで、商業高校では病院にまつわるうわさ話があるとかないとか・・・。