太平洋戦争での戦禍によって、松山公園の敷地内にあった「沖縄県立第二高等女学校」は1944年10月10日に校舎が全焼しました。
民家などで分散授業が行われましたが、戦争はさらに激しくなり、学校としての機能は成り立たず、戦後も復興されることなく自然廃校となりました。
写真の像は「白梅の乙女たち」の像。
創立80年の節目に、元職員、同窓生、家族の協力を経て、母校が存在した証の像が建てられました。
白梅の乙女たちの地図はこちら。