台湾遭害者之墓
4月 30, 2014
1871年、宮古島住民43人を含む54人の県民が乗った宮古島の年貢運搬船が、那覇港から出発後に遭難し、台湾に漂着。
乗務員66人が山間部の牡丹郷に迷い込み、台湾の先住民に54人が殺害されるという事件が起きました。
那覇市の護国寺の入り口に「台湾遭害者の墓」はあります。
この墓には44人の遺骨が納骨されているそうです。
政府は、この琉球漂流民殺害事件に対して、清朝に厳重に抗議しましたが1873年には、台湾に漂着した備中国(現在の岡山県)柏島村の船の乗組員4名が略奪を受ける事件が発生したため、台湾への出兵を決めたそうです。
そのため日本の台湾侵攻のきっかけにもなった墓といわれています。