1871年、宮古島住民43人を含む54人の県民が乗った宮古島の年貢運搬船が、那覇港から出発後に遭難し、台湾に漂着。
乗務員66人が山間部の牡丹郷に迷い込み、台湾の先住民に54人が殺害されるという事件が起きました。
那覇市の護国寺の入り口に「台湾遭害者の墓」はあります。
この墓には44人の遺骨が納骨されているそうです。
政府は、この琉球漂流民殺害事件に対して、清朝に厳重に抗議しましたが1873年には、台湾に漂着した備中国(現在の岡山県)柏島村の船の乗組員4名が略奪を受ける事件が発生したため、台湾への出兵を決めたそうです。
そのため日本の台湾侵攻のきっかけにもなった墓といわれています。
台湾遭害者之墓の地図はこちら。
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「三竹寿」(さんちくじゅ)とは、那覇市古島にある、自家製つけ麺屋さんのことです。
季節やその日の天気、湿度に合わせて作られた麺が自慢で、いつ行ってもたくさんのお客さんがいます。
東京の超有名店である六厘舎で修行した店主が開店したお店だということも有名です。
「つけ麺」は並盛から大盛まで選べて、温かい麺の「あつもり」も並盛から大盛まで選べるメニュー。
ランチタイムにはライスがおかわり無料。
トッピングも豊富です。
三竹寿の地図はこちら。
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宮古空港のターミナルビル内にある、「あたらかシーサー」。
東京在住の造形美術家・牛山リコさんが2年以上の期間をかけて製作しました。
宮古島で採れた巨大なシャコ貝や立派なホラ貝、タカラ貝、スイジ貝、クモ貝、サザエ等々が利用されています。
他にも赤瓦やガラス玉などが使われていますが、これらの材料はたくさんの市民から無償で提供されたものだそうです。
「あたらか」とは、宮古方言で「大切な」「もったいない」という意味だそうです。
高さは本体が約1.5メートル、台座を含めると約2.5メートルに達するほど大きいので探す間もなく目立つ存在のシーサーです。
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「護国寺」の裏手にある公園内に、「戦没新聞人の碑」という碑があります。
その名の通り、沖縄戦で命を落とした新聞記者の碑です。
「1945年春から初夏にかけて沖縄は戦火に包まれた。砲煙弾雨の下で新聞人たちは2カ月にわたり新聞の発行を続けた。これは新聞史上例のないことである。その任務を果たして戦死した14人の霊はここに眠っている」と説明されています。
当時の沖縄新報、朝日新聞、毎日新聞の皆様のお名前が並べられています。
発行は45年3月下旬から5月22日。
新聞といってもタブロイド判2ページですが、毎日兵隊や警察官、男子師範生徒らによって戦火をくぐって配達されたそうです。
戦没新聞人の碑の地図はこちら。
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対馬丸犠牲者をまつった「小桜の塔」の隣に、「ふんばるガジュマル」というガジュマルがあります。
場所は那覇市にある護国寺の裏手、旭ヶ丘公園と呼ばれているところです。
つしま丸合唱団の団員からの応募でつけられたという「ふんばるガジュマル」。
不安定な場所に、ガジュマルが何本も地上に下ろす気根などの成長した姿が、対馬丸沈没で生き残った数少ない子どもたちの生命力を重ねたそうです。
ふんばるガジュマルの地図はこちら。
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