ゆうな児童公園
「ゆうな児童公園」は沖縄コンベンション通りの向かいにある宜野湾市立グラウンドの近くにあります。
公園の名前の由来になっている「ゆうな」の木が入り口に植えられています。
きれいに整備されていて、明るい公園です。
周りには高層住宅が並んでいます。
長いローラー滑り台がメインの遊具を筆頭に、アスレチック遊具もあるので休日には小さい子供を連れた家族連れで賑わうようです。
トイレはありますが、駐車場はありません。
「ゆうな児童公園」は沖縄コンベンション通りの向かいにある宜野湾市立グラウンドの近くにあります。
公園の名前の由来になっている「ゆうな」の木が入り口に植えられています。
きれいに整備されていて、明るい公園です。
周りには高層住宅が並んでいます。
長いローラー滑り台がメインの遊具を筆頭に、アスレチック遊具もあるので休日には小さい子供を連れた家族連れで賑わうようです。
トイレはありますが、駐車場はありません。
「沖縄コンベンションセンター」は、宜野湾市にある会議展覧センターです。
隣接してビーチやマリーナ、海浜公園、屋外劇場、体育館、野球場、リゾートホテルなどの施設があり、様々な団体のコンベンションやイベントに対応できるセンターとなっています。
「劇場棟」「会議棟」「展示棟」に分かれていて、写真に写っているのは「展示棟」です。
デザインは「空」「海」「洞」をモチーフとしています。
「空」は鳥や太陽、「海」はその中に棲む生物たち、「洞」は人々だそうです。
1987年に完成した建物は、1998年には公共建築百選に選定されています。
以前にも紹介しましたが、数年前から、エリア入り口に看板が出来、ますます観光スポットとしてにぎやかになっています。
元々米軍基地だったのが都市型リゾートとして、地元人にも観光客にも親しまれています。
ビーチ、大型デパート、映画館、レストランが建ち並ぶショッピングゾーンは、広場ではストリートライブも盛んに催され、夏場はシーポート北谷カーニバルなどが行われます。
土地と土地の「結」(結節機能)、人と人との「結」(相互扶助)、情報と情報との「結」(情報の受発信)を発揮する「てだこのまち・浦添」の新しい玄関口、それが「浦添市産業振興センター・結の街」です。
浦添の街の情報発信ステーションとして、産業、文化、交流の面で街を活性化する目的で建設されました。
パネル、映像及び模型等を使用し、浦添市内の文化、芸能及び歴史等を紹介したり、浦添の商工業の移り変わり(戦前~戦後~現在)をVTR映像及び展示パネルで紹介したり、多様な技法で浦添市をPRする展示コーナーが中心です。
他にも180名収容可能な大研修室、ビジネス関連の書籍ライブラリー、無料パソコンコーナーなど。
浦添商工会議所もこのビルに入っています。
浦添市の「街づくり」「人づくり」を担っているビジネスモールです。
沖縄の伝統芸能は「組踊」「琉球舞踊」「三線音楽」「沖縄芝居」「民族芸能」に分かれます。
「組踊」は本土復帰の年(昭和42年)に国の重要無形文化財にも指定されましたが、「組踊」を披露する場所がありませんでした。
沖縄伝統芸能の保存振興、後継者の育成、アジアなどの交流事業を目的として、設立されました。
「国立劇場おきなわ」は、他の国立劇場と同様に独立行政法人日本芸術文化振興会の施設です。劇場の管理・運営については、振興会から委託を受けた「財団法人国立劇場おきなわ運営財団」が行っています。
本日以降、以下の公演を予定しています。
●民族芸能公演「沖縄本島民俗芸能祭~恩納村~」
●第25回公演記録鑑賞会 第6回民俗芸能公演「沖縄・宮古・八重山の唄と踊り」
●組踊公演「久志の若按司」
沖縄戦真っ只中の昭和19年8月22日、沖縄からの疎開者を乗せた「対馬丸」は、鹿児島県・悪石島付近で米海軍潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け沈められました。
たくさんの学童を含めた民間人が犠牲になったこの歴史的事件は、当初、救助された人々に「箝口令(かんこうれい)」がしかれ、対馬丸が撃沈された事実を話すことを禁じられたものの、「“学童疎開船”対馬丸の悲劇」として今でも語り継がれています。
平和と命の大切さを子供の目線で伝えていくことを目的に建設されたのが「対馬丸記念館」です。
記念館には、生存者や遺族の証言の記録と、わずかな遺品が一つのパネルにおさめられていますが、解説には読み仮名を振ったり難しい言葉は使わないように注意されています。
来館する子供たちのために、イラストや写真などの工夫もされています。
大人500円、中高生300円、小学生100円。
毎週木曜日と年末年始は休業。
「FM沖縄」(株式会社エフエム沖縄)は沖縄県を放送対象としたラジオ局です。
キャッチフレーズは「いつも心は南向き~Southern Station FM OKINAWA」(サザンステーション・エフエム・オキナワ)。
那覇で87.3MHz、今帰仁で 83.7MHz。
鹿児島県の与論島や沖永良部島や奄美地方の一部でも直接受信可能となっているようです。
当初はAMで放送を行っていましたが、1984年9月に社名を変更すると同時にFM放送へ転換しました。
毎週日曜深夜(月曜未明)は1時から5時までメンテナンスタイムのため休止しています。
FM沖縄本社の地図はこちら。
現在、波の上地区と那覇空港方面を直接結ぶ道を海底トンネルでつなぐ工事が行われています。
読谷村から糸満市をつなげる道「沖縄西海岸道路」の一部なのですが、そこに大きな換気塔が出来あがっています。
見かけは「柱がたくさん並んだような建物」ですが、これはこういうデザインなんだそうです。
空港側と三重城側の2か所に造られていて、外壁は琉球石灰岩が張り付けられています。
海底沈埋トンネル内の空気をきれいにして外へ出すために、高さ10メートルの排風機によって除塵フィルターを通して外へ出されます。
写真は三重城側の換気塔です。地図はこちら。
台風9号が沖縄本島を暴風域に巻き込んで24時間以上経ちます。
猛烈な風と雨で看板・壁の損壊、通信障害、浸水、停電など長時間にわたって、県民生活に影響を及ぼしています。
本島地方は4日午後すぎから、30時間以上も暴風域内に入っていて、沖縄気象台は暴風や洪水、土砂災害などに警戒を呼び掛け中です。
空の便、海の便も完全にマヒしています。
当初、本島が暴風域から抜けるのは6日明け方の見通しでしたが、6日夕方に変更になるほど。
ノロノロ台風の被害はさらに拡大しそうです。