久松五勇士顕彰碑

6月 17, 2010

hisamatu-goyuusi.jpg1905年、当時は日露戦争時代でした。

日本は、ロシアのバルチック艦隊の出現に備え、連合艦隊では猛訓練に励み、待ち受けることになりましたが、敵艦隊が何処に現れるかが大きな問題となっていました。

5月23日、バルチック艦隊が宮古島付近を北上している情報が帆船乗りの青年に発見されました。

しかし、日本の連合艦隊に報告する手段が当時の宮古島には無く、通信手段のある石垣島へ、漁師5人が荒波の中およそ170kmの距離をサバニで渡ることになりました。

漁師5人は命がけの航漕15時間、陸上を5時間かけて石垣島電信局に至り電報を発信。

しかし、それよりも早く仮装巡洋艦・信濃丸による連絡が早かったため、この情報が役に立つことはありませんでした。

昭和に入り、この忘れられた事実が判明し、5人は沖縄県知事より顕彰され、宮古島や石垣島では英雄として称えられています。

写真は、サバニを5本の柱で支えるコンクリート製のモニュメントが建てられている「久松五勇士顕彰碑」。

久松五勇士顕彰碑の地図はこちら。