写真は沖縄戦で殉職した島田叡(あきら)知事と県職員453名を祀る慰霊塔です。

1951年に、旧県庁の生存者と県民によって建立されました。

島田氏は兵庫県出身で、大阪府の内務部長を務めていましたが、1945年に沖縄県知事に打診されました。1945年は米軍が慶良間諸島をはじめ沖縄本島上陸した年でしたが、周囲の反対を押し切って受諾したと言われています。

死を覚悟して沖縄へやってきた島田氏は就任後、沖縄駐留の軍との関係改善に努めたり、前任者のもとで遅々として進まなかった北部への県民疎開、食料の分散確保など多くの問題を処理していきました。

こうした姿勢や人柄が、県民の信頼を深めていったようです。

1945年6月、同行していた県職員や警察を解散させ、摩文仁の壕を出て以来、消息を絶ちました。今日まで遺体は発見されていませんが、元兵士による証言で「自決した」可能性もあるようです。

島守之塔(平和祈念公園)の地図はこちら。