オオタニワタリは、漢字で書くと「大谷渡り」。
シダ植物の仲間で、細長い葉を持ち、短い茎から外側に向かって広がっているのが特徴です。
シダの仲間ゆえに日陰や半日陰を好み、直射日光の当たるところではあまり見かけません。
沖縄では樹木や岩などに着生しているのをよく見かけます。
葉を広げているのは、落ち葉などを中央に集め、やがて落ち葉は腐葉土になり、それを自分の成長の蓄えにしているからだそうです。
暖かい地域に分布しており、特に南西諸島で多く見られますが、最近では園芸採取目的や様々な環境問題により、絶滅危惧種に指定されています。
沖縄では「シマオオタニワタリ」や「ヤエヤマオオタニワタリ」が多いようですが、見分けがつきにくいほどです。
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勝ちゃん |
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沖縄では高気圧の影響で、2月下旬とは思えないほどの陽気。
しかし「暑い暑い」と言っているのは人間だけではないようです。
ひめゆりの塔や城跡など、観光スポットが多い本島南部、糸満市でこんなシーサーを見つけました。
ハート型?蝶型?のサングラス。ただのサングラスじゃ強面シーサーになってしまうからなのか、可愛らしいサングラスで強い日差しをシャットアウト。
こげ茶色はまるで日焼けのようで、沖縄ではシーサーも立派な島んちゅ。
お土産屋さんの入り口に、看板娘?のように座っています。
愛嬌たっぷりのシーサーが、糸満市にて観光客、地元人を和ませます。
ひめゆりの塔は、沖縄県本島糸満市にあります。
沖縄戦時中、沖縄陸軍病院第三外科壕であった跡に立つ慰霊碑です。
沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員で構成されたひめゆり学徒隊は、南風原にある沖縄陸軍病院に看護要員として従軍していました。
その後の激しい戦闘で解散となりましたが、すでに周辺はアメリカの支配下にあり、脱出したわずかな人数を除いてほとんどが壕の中で過ごしたようです。
しかし更なる攻撃を受け、100名近くいた生徒、職員の生き残りはわずか5名。戦後、遺骨が集められて慰霊碑が建てられました。
写真の手前の穴は、壕の跡と思われます。それを過ぎると奥にはひめゆり平和祈念資料館があり、生存者の手記や従軍の様子などが展示されています。
ひめゆりの塔の地図はこちら。
「ひめゆりの塔」の近くのお土産屋さんに、こんなものを見つけました。
人間と同じくらいの背丈のキューピーが、パイナップル(左側)とゴーヤー(右側)の着ぐるみ姿。
パイナップルはちょっと分かりづらいです。
アイスクリーム屋さんのオブジェだと思われますが、道を歩いていたら突然現れた、この着ぐるみキューピーに驚きます。
ちなみに、「ゴーヤー」は独特の苦味がありますが、沖縄では郷土料理のゴーヤーチャンプルーにも使われていて、うちなーんちゅにとってとても身近な野菜です。
「パイナップル」も沖縄で栽培しているフルーツの一つで、「パイナップルパーク」というテーマパークもあるほど親しまれています。
場所は八重瀬町具志頭。
具志頭城は、14世紀の中期頃に英組王統第二代大成王の第三子具志頭(ぐしかみ、又はぐしちゃん)按司(あじ)が築城したものと伝えられています。
以来、代々の具志頭按司の居城であったといわれています。
按司とは、簡単にいえば琉球王国時代の地方の支配者。具志頭按司は、具志頭という地区を支配している人のことです。
25,700平方メートルの規模は沖縄の城跡の中で大きいほうで、かなりの勢力を持っていたようです。
断崖の上に建てられた具志頭城は海外貿易の拠点ともなっていました。
具志頭城跡の地図はこちら。
2000年の沖縄サミットを記念して作られた二千円札。
表面には沖縄県那覇市にある首里城内の守礼門、裏面には源氏物語の作者、紫式部が描かれています。
これは他の通貨に比べて以下の注目点があります。
・戦後初の「1」と「5」以外の単位
・表面のデザインが、人物でないこと(国会議事堂以来)
・最新の偽造防止技術が多数採用されていること
銀行やコンビニなどのATMで対応が進まないことにより、巷では二千円札は浸透していないようです。
守礼門に馴染みのある沖縄県では他の都道府県より流通量は高めですが、現在は生産はされていません。
もしニ千円札を手に取ることがあれば、今となっては貴重な体験なのかもしれません。
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勝ちゃん |
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今日は、沖縄県内各地で「旧の十六日祭」がありました。
毎年、旧暦の1月16日は「あの世の正月」とされていて、重箱に天ぷらや昆布、ごぼう、こんにゃくなどを詰め、お餅やお菓子などのお供え物をお墓に持って行きます。
写真は、宮古島や石垣島など離島にお墓がある人がウートートーする場所、三重城(みえぐすく)です。自分たちのお墓の方向を向いて、ウチカビ(あの世のお金)を焼きます。
旧の十六日祭は祖先を供養するイベントの一つ。各地域によって若干の違いはありますが、沖縄県本島だけでなく離島など全域にわたって毎年行われる、結構盛大なイベントです。
自分の住んでいる所にお墓が無くてもちゃんと先祖供養するあたりは、沖縄らしいかもしれません。
沖縄県内では、この時期各地でサトウキビの収穫が盛んになってきて、サトウキビ畑では農家の人たちが一生懸命作業をしているのを見かけることができます。
収穫の際は、まず葉を切り落とし、その後、茎を地上近くで切り、倒れた茎を束にして工場へ運び出します。(写真参考)ほとんど人の手で行われますが、最近は小型の機械を使う農家もあるようです。
そして工場では汁を搾り取りますが、残った搾りカスは捨てずに、製造原料になったり工業利用されているようです。
サトウキビは、日照量が多く、豊富な水源が必要であるため、海外ではブラジル、インド、日本国内では沖縄や奄美諸島を中心に栽培されています。
沖縄の方言では「ウージ」と呼ばれ、砂糖の原料の他にウージ染め、飲料などにも利用されます。
玉城城跡は、旧玉城(たまぐすく)村、現在は南城市玉城にあります。
琉球を創生したと言い伝えられる神アマミキヨが築き、子孫の天孫(てんそん)が城主であったと言われていますが、築城年代は定かになってはいません。
「天つぎあまつぎの御嶽」(神名「アガル御イベ、ツルベ御イベ」)が祀られているからなのか、別名アマツヅ城と呼ばれています。
一の郭、二の郭、三の郭の三つの郭からなる階段状の城で、そのうち一の郭の城壁がほぼ原型をとどめていますが、、二の郭と三の郭の城壁は戦後に、米軍基地建設の骨材料として持ち去られ、現在根石がわずかに残っているにすぎません。
城内を歩く際には、急な坂道や滑りやすい道に気をつけましょう。
玉城城跡の地図はこちら。
垣花(かきのはな)城跡は、沖縄県本島南部、垣花にあります。
南風原南ICから車で約40分。
垣花集落の南側に築かれた「本丸」と「二の丸」(または「一の郭」と「二の郭」ともいう)からなる城跡で、14世紀頃に築城されたと言われています。
垣花城跡は、標高120mに位置していて、玉城城の守り城として築城されました。
現在では、按司墓と拝所、城壁が所々に残っています。
緑がたくさんあり、神聖的で癒しの雰囲気となっています。
ただ、ハブの出没や、階段が滑りやすくなっていることには気をつけましょう。
すぐ近くには名水として有名な垣花樋川があります。
垣花城跡の地図はこちら。